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正法眼蔵 行持(上) 28

塩官禅師は僧に命じて法常禅師を自分の寺院に招待しようとしたが、法常禅師は山を出ようとされず塩官禅師に偈(詩)を作って答えられた。

砕けてやっと残っているような枯れ木と同じ様な状態で、自分は人影もない寂しい林に暮らしている。何回も春に出会ったけれども、いっこうに山の生活が嫌になって外へ出て行くという気は起きなかった。山を歩いている木こりが自分と行き会っても、一体どういう人間かと言う疑問を持って振り返るという事さえない。人前で説法しておられる立派な僧侶が、木こりが出会っても見向きもしない自分のような者をどうして懇切に追い求める必要があろう。

法常禅師はこの様な偈を作って丁寧に断わり、請われたけれども塩官禅師の教団に行って説法をする事をしなかった。その後さらに山奥に入ろうとした際に偈を作って言う。
 
たった一つの池に生える蓮の葉は、その蓮の葉を使って衣服を作る限りいつまで経っても衣服に困るという事はない。松の木が数本もあって、その松の木の実を食べていると食事としては十分であって乏しいという事はない。ところが世間の人々から自分の住んでいる場所を知られてしまったので、あばら屋をさらに山奥に移してもっと山の深いところに入って行こうと思う。

そういう偈を作って、さらに自分の庵を山奥に移した。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
実際の道元禅師の頃のお寺と言うものは、やはり非常にお粗末なお寺でしたか。

先生
いやこの時代、やはり比叡山とか高野山とか相当立派な建物があったのではないかと思います。それでそれは天皇の寄進とか、あるいは大臣の寄進とか、そういう事情があったと思いますよ。そういうものに対する立場を頭において、道元禅師はこの辺の事を書いておられるのではないかと言う気がするわけです。

だから寺院の立派なのを建てて仏道が盛んになったと考えるのは錯覚だと。建物が立派であろうと立派でなかろうと、実際に仏道が行われているか行われていないかと言う事が、仏道が盛んであるかどうかの分かれ目であって、建物が立派か立派でないかという事では決まらないと、そういう主張です。道元禅師の時代の寺院の建物が全て粗末だったという事ではないと思います。


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正法眼蔵 行持(上) 27

この様な形で法常禅師は山奥で一人で生活をしていた。

ある日、塩官斎安禅師の教団から一人の僧が山にやって来て、旅の杖を作るための木を見つけていたところが、山道で迷ってしまい偶然、法常禅師の庵のある場所に出た。しかも期せずして法常禅師にお会いした。

僧問う:和尚さんはこの山に住まうようになられてから、どのくらいの時が経ちますか。

法常禅師言う:ただ周囲の山々が春になると青くなり、また秋になると黄色くなるのを見て来ただけだ。

僧問う:山から出るには、どの道を通って行ったら出られますか。

法常禅師言う:川の流れについていったら、山から出られるだろう。

僧は法常禅師の返事が実に淡々としていて、しかも要点がはっきりしているので、その返事の仕方に驚き法常禅師がただ者ではないと言う感じを持った。そこで塩官斎安禅師のもとに帰って上記の状況を話した。

そこで塩官斎安禅師言う。    
自分がかつて馬祖道一禅師の教団にいた時に一人の僧に出会った。その僧が非常に優れているので印象に残っているけれども、それ以後その僧の消息は分らなくなってしまった。あるいはその僧がかつて江西で行き会ったあった僧ではなかろうか。



            ―西嶋先生の話―

私が仏教の話をするのはどうしてかと言いますと、今日の仏教はあまりに「葬儀」に中心が置かれている。そして仏教思想についての関係が非常に薄れていると言う事情がある訳であります。私は「仏教思想」というのは一つの「哲学」であるから、社会の中に広まっていかなければ意味がないと言う考え方を持っております。そこで従来の仏教と現代の社会とを結びつけると言う事を、かなり努力してやって来たわけであります。しかしこれが実際問題としてはなかなか難しい問題であります。

お寺の方々は仏教の教えよりも、やはりお葬式が中心になって活動が行われていると言う事が実情であります。それからまた、一般の社会生活をしている人々は、専門家ではないのだから「ほどほどに」と言う気持ちで仏教を勉強する場合が多い。こう言う事から、その二つを結びつける事が意外と難しいと言う実情があるわけであります。

私はその二つの「中間」に、出家も在家も両方含んだ形で「本当の仏教を勉強する集団」と言うものが出来なければならないのではないかと言う見方をしております。そのことは、家庭生活を持つ持たないは別にして、ものの見方が仏道の立場に入っていかないと本当の仏教思想と言うものは身に付かない。それと同時に仏教の教えと言うものを、あくまでも一般の人々に知ってもらって、社会生活を仏教の教えに従って実行していくと言う事が目標であります。


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正法眼蔵 行持(上) 26

大梅山は慶元府にありこの山に護聖寺が創建され、その創始者は法常禅師である。法常禅師は襄陽の出身で、かつて馬祖道一禅師の教団で仏道を学んでいた。

馬祖道一禅師に対して法常禅師問う。
仏というのは一体どういうものでしょか。

馬祖道一禅師答えて言う。
現在のありのままの心がすなわち仏である。

法常禅師はこの馬祖道一禅師の言葉を聞いて、聞いた瞬間に真実というものはどういうものであるかという事を把握した。それから以降は大梅山のてっぺんに登り、人間社会から離れて草庵に一人で住んで松の実を食べ蓮の葉を衣服とした。大梅山には小さな池があってその池には蓮がたくさん生えていた。この様な暮らしの中で坐禅をし仏道を勉強することが30年余りになった。

人に関連した事柄は一切見聞きすることなく、暦の進み具合もほとんど意識することなく、ただ周囲の山々が春には青くなり、秋には黄色に染まり、その青くなったり黄色くなったりする四方の山々を見ながら暮らした。その状況というものを今日から想像しただけでも、きわめて感慨深い歳月である。

法常禅師が坐禅をする際には、高さが八寸位の小さな鉄の搭を一つ頭の上に載せていた。ちょうど宝石で飾られた立派な冠を頭の上に載せているのと似ていた。そしてこの搭を自分に落とすまいと努力する事によって居眠りをすることがなかった。その法常禅師が坐禅の時に使っていた搭がいまでも大梅山の護聖寺に残っていて、その塔が倉庫の中にあるという事も帳面に書きつけてある。法常禅師はこの様な形で坐禅をすることを死ぬまで怠ったり飽きたりする事なしに続けた。



          ―西嶋先生にある人が質問した―  

質問
法常禅師は亡くなるまで山に籠もって世の中と関係なく過ごされたという事は、やっぱり素晴らしい事なんでしょうか。

先生
事実問題としては大梅山に寺を建てられた。そして弟子もできたわけです。自分は山から出なかったけれども、弟子が集って来て寺ができ仏道の教えが伝わった。

質問
なるほど、そうですか。

先生
だから護聖寺を建てたと言われているのは、法常禅師が山奥で生活しているうちに自然に寺ができあがってしまったと、そういう事情だと思います。

質問
そこには建前と実際とあったのですか。

先生
だから弟子ができるとか、出来ないとか、寺が建つとか、建たないとかと言う事はどっちでもいい事であって、法常禅師の立場からするならば、とにかく仏道修行をしているという事だけに意味があったという事になると思います。


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正法眼蔵 行持(上) 25

趙州従諗禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

そして啞ではないという事が、釈尊の説かれた教えの中における言葉では表現できない究極の真実を得た事態なのだと人から聞かされることもなく、自分自身がすでに釈尊の説かれた教えの究極を得たという事を知らないのは、甚だ哀れな事と言わざるを得ない。結局のところ寺院の中に住んで清い行いをして戒律の保持を黙々と行うべきであり、東に向かって風が吹けば東に傾き、西に向かって風が吹けば西に傾むく様な不安定な状態であってはならない。

5年、10年と、春風に吹かれ、秋の月を眺めてと言うふうに、1年、1年を寺院の中で静かに暮らしていくならば、それと自覚されるわけではないが、理論や感覚を超越した真実の道がはっきりと日常生活の中にある。真実を得たと言う状態は自分では気が付かないし、自分で理解が付いたという事ではないけれども、あるいは理解を超越した状態ではあるけれどもそれはそれでいい。ただ日常生活における僅かな時間でも惜しくて惜しくて仕方がないと言うふうに学ぶべきである。

そして自分が何も口に出して言わないという事が甚だ空しい、実質的な価値がないというふうに疑う必要はない。寺院に入ったり、寺院を出たりという様々の具体的な行動というものが、それぞれ寺院生活というものであり、鳥の様に無制限な世界を悠々と飛び歩くという事も寺院生活の一形態であり、この宇宙の中で自由自在に生きていくことも、また一つの寺院生活のあり方である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―
  
質問
五体満足でありながら、自分の事が不満足でどうしても否定的になってしまう。こんな時には具体的にどう自分を肯定するようにもっていったらいいんですか。

先生
私が本心を言うと大抵の人が嫌うんですがそのために坐禅があるんですよ。つまり足を組み・手を組み・背骨を伸ばして坐っていると、自分というものがわかってくるんですよ。自分がわかって来ると言う事は、自分が何をしたらいいかという事もわかってくる。他の人と比較して、恵まれている、恵まれていないと言う考えも出てこない。自分は自分だと言う形で、自分に自信を持って日常生活を努力していくと言う生き方にならざるを得ないわけです。

質問     
たとえば、しょうがい者などはあまり下手な同情を嫌いますが・・・。 

先生
ええ、それはあると思いますよ。人に対する同情というものが、受ける方にとって非常につらい場合もあると思いますよ。で、与える方にとっては自分自身の快感である場合があるわけです。これは人間のあさましさでね。人に対して色んな面倒を見る場合も、人に対して温情を与えるというねらいよりは、優越感を無意識のうちに味わっておるという形もあるわけでね。

だからそういう点では、人間のやる事っていうのは、かなり慎重にやらないと、せっかくの好意が無になってしまう。せっかくの好意が相手を傷つけるというような場合がいくらもありますね。


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正法眼蔵 行持(上) 24

趙州従諗禅師がある時、たくさんの僧侶に説示して言われた。
  
もしお前方が一生、寺院生活(修行道場)を離れないならば、たとえ言葉によって真実を語る事が5年10年なかったとしても、人はお前方の事を啞のような物を言う事のできない人間だとは言わないであろう。また5年10年と寺院生活が続いたならば、真実を得られた先輩方もお前方の事をあれこれと批評する事はできなくなってしまうであろう。

趙州従諗禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。
この言葉は仏道生活において、清い行いを行ない、戒律を保持する事がいかに大切かと言う事を示しておられる。銘記せよ。真実を語る事が5年10年なかったことは、愚鈍に受け取られるが一生寺院生活を離れないと言う努力によって、言葉でこそ真実を語る事はしないが、その言葉では真実を語らない人を目して啞という事はできまい。釈尊の教えは言葉で気の利いた事が言えなくても、行いがしっかりしていればそれで仏道は完成されたと言う事である。

この様に考えてくると、清い行いをし戒律を守るという事の一番優れた形というものは寺院生活を離れないという事である。寺院生活を離れないという事は、仮に言葉で何も言わないとしても一切の事を語っているという事に他ならない。自分自身が愚かであると自覚して寺院生活を離れないことに徹していくならば、自分は啞と同じではないと人に知らせる必要もなく、誰かに知らせることを邪魔されているという事でもない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
四天王とか諸龍とか仏教ではどう見ているのか、いつもそれが私にとって分からないことで・・・。

先生
古代インドにおいては仏教の生まれる以前からたくさんの神々に対する信仰があったわけです。それで仏教が盛んになってきた場合に、過去のたくさんの神々を抹殺するという事をしないですべて仏教の守護神にしてしまったというのが仏教の立場です。ですから、四天王とか諸龍王とかも、仏教が生まれる以前から古代インド民族の間に行われていた信仰がその出発点になっているわけです。そういうものを仏教では仏教の守護神として活用したというか、存続させたということが実情になるわけです

質問
そうしますとバラモン教とかいろいろあると思うんですね。その当時、仏教と肩を並べていたものと共通しているものを持っていると言ったらいいんでしょか。

先生
ですから神々に対する理解の仕方が、仏教の時代になると変わったという事が言えると思います。その点では、仏教以前の宗教では、そういう神々が実在していて、自分たちを支配しておるんだという理解が強かったですけれども、仏教の立場からすると人間は様々のものの存在を想像することが出来る。その一種として神々の存在を想像するという事が可能であるんだから、そのような神々の存在を認めそれなりの地位においておくというのが仏教の立場だと思います。

質問
四天王とか龍王とかというのは夢物語みたいですね。だけど750年前の「正法眼蔵」を書かれた道元禅師さんの時代までは、先生のおっしゃるように「抱擁していた」という言葉でやわらかく包んでおりますけれども今の言葉でいえば迷信ですか

先生
私は迷信だとは思わない。お伽噺だと思う。迷信と決めつける必要はないんであって、過去の人々は様々の天上の世界を想像をしていたし、天使がいたりやさしい神様がいたりと様々の事を想像した。それはそれなりにいいんじゃないかという事です。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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