トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 行持(下) 32

    石頭希遷禅師は石頭山に上がって大きな石の上に粗末な庵を造りそこで坐禅生活をしていた。昼夜となく寝るという機会が少なくて、坐禅をしない日というものはなかった。様々な人間のやらなければならない仕事を欠いたわけではなかったけれども、1日24時間の間、坐禅というものを欠かさず勤めて来た。今日、青原行思禅師の流れをくむ人々が天下に広がって仏道を説いて様々の利益を与えている事は、石頭希遷禅師の偉大な力が幸いして...

  • 正法眼蔵 行持(下) 31

    太祖慧可大師の説話について道元禅師の注釈はまだ続きます。太祖慧可大師のお陰をもって釈尊が説かれた最高の正しい教えを見たり聞きする事ができた偉大な恩義と言うものは、およそ人間の姿をしている人にとっては誰がそれを忘れてよいという事があろう。これを忘れないという事がわれわれ各人における一生の宝であろう。この様な正しい行い戒律の保持を一所懸命にやって、それをやめる事がない体や骨は、生きている時にも死んでか...

  • 正法眼蔵 行持(下) 30

    太祖慧可大師の説話について道元禅師の注釈は続きます。過去における沢山の祖師方の清い行いや戒律の保持によって形付けられた我々の体を、無駄に妻子の下僕のような立場に置き、妻子の玩弄に任せて戒律を破ったり、堕落したりして行くことを残念に思わないという事は悲しむべきことであり、恥かしいことではないか。またものの考え方が誤っていたり狂っている事が原因になって、羅刹(鬼・悪魔)に譬える事のできる名誉や利得に体や...

  • 正法眼蔵 行持(下) 29

    太祖慧可大師の説話について道元禅師の注釈は続きます。太祖慧可大師の恩義に報いるに当たっては、体や命を差し出してもなお不足であるであろう。一つの国、一つの城を差し出しても決して十分とはいえない。国や城は他人に奪われる事もあれば親子の間で譲ることもあり得る。また体や命と言えども、いつ失われるかわからないものであり、主君のために命を捨てなければならない場合もあるし、正しくない教えの為に体や命を任せるとい...

  • 正法眼蔵 行持(下) 28

    太祖慧可大師の説話について道元禅師の注釈は続きます。太祖慧可大師はこの様な経過で達磨大師の教えに従って仏道の修行を始めその奥深い境地に入る事が出来た。そして身の回りの世話をする事が8年に及び、その間における労苦というものは大きなものであった。この様な太祖慧可大師の例は、まさに全ての人々がその指導を受けるに足りる偉大な師匠である。このような激しい努力と言うものは、インドにおいても聞いた事がなく中国に...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

最近のコメント

リンク

カテゴリ

フリーエリア

行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

FC2カウンタ-