トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 観音 24

    雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。二人の問答の中で、観世音菩薩はたくさんの手や眼を使って何をされようとしているのか、と言う言葉が出てきたけれども、さらに我々自身の日常生活に関連して言うならば、せっかく人間に生まれて、人間としての体を持ち、人間としての心を持ち、極めて優れた働きができる可能性を持っているのであるから、その様な体をもとにして、その様な心をもとにして一体何...

  • 正法眼蔵 観音 23

    雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。雲巖禅師の言葉に対して道吾禅師は自分の表現を述べるならば、「体全般に行き渡って手があり眼がある、それが観世音菩薩の実態である」と言われた。※西嶋先生解説そのことは我々自身の体全体に観世音菩薩の手や観世音菩薩の眼と同じような働きがあるという主張でもあるわけであります。なぜかというと、我々の体というものは、ある立場から見るならば生命の塊...

  • 正法眼蔵 観音 22

    雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。釈尊の説かれた教えや仏道の真実を得られた方々の話は、この様に世間一般の理解の仕方とは違った立場で理解すべきである。世間一般では80点、90点と言えばまだ100点には足りないという理解になやりがちだけれども、ここで道吾禅師の言われた言葉の意味は、ほんのわずかの言葉でほとんど完成に近いほど見事に真実を表現されたという意味に理解すべきである。...

  • 正法眼蔵 観音 21

    雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。世間一般では道吾禅師が80%、90%の表現にはなっているという言葉を聞いて、本来は100%の出来でなければならないのに、表現が不十分であったためにそのように言われたのだと理解している。道吾禅師は決しては雲巖禅師の言葉が不満で80%、90%と言われたのではない。本来100の言葉、1000の言葉10000の言葉を使わなければ中々言えないないような真実を、ほん...

  • 正法眼蔵 観音 20

    雲巖曇晟禅師と道吾円智禅師の問答について道元禅師の注釈は続きます。真実というものがしっかりと把握されて真実を言い得る様な力量を具えている時点においては、しっかりと100の言葉、1000の言葉、10000の言葉、10000のというふうに沢山の言葉を使って表現しなければならない様な場合でも、仏道を体得した力が非常に優れている場合には、ほんの僅かの力を使って言葉、ほんの僅かな言葉で80%、90%の表現をするのである。たとえ...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

最近の記事

リンク

カテゴリ

最近のコメント

フリーエリア

坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

FC2カウンタ-