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カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 恁麼 4

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。我々自身が言葉では表現できない何かであると言う事実を知るべきである。一体何によって我々が言葉では表現できない何かであると知る事が出来るのであろうか。我々は日常生活において、どういう根拠かわらないけれども、突如として言葉では表現できない何かが得たいと言う気持ちを起こす。その様に言葉では表現できない何かを得たいと言う気持ちを起こす事が、自分...

  • 正法眼蔵 恁麼 3

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。体というものを考えてみても、体自身がすでに個人的な存在ではなく、生命は時間の経過とともに変化して、ほんの僅かの時間も停止させることはできない。年若かった頃の輝かしい顔は一体どこに隠れてしまったのであろうか、それをもう一度見つけようとしても、どこにそれを見つけたらいいのかわからない状態が我々の人生である。よくよく考えてみるに、過去における出来事とい...

  • 正法眼蔵 恁麼 2

    雲居道膺禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。ここで雲居禅師が言っておられる言葉の意味は、言葉で表現できない何かというものを得たいと思うならば、まさに言葉では表現できない人そのものになってしまう事である。言葉では表現できない人そのものになってしまったのであるから、どうして言葉で表現できない何かを得られるとか得られないとかと言って心配する必要があろう。この言葉の意味はどういうことかというと、直接...

  • 正法眼蔵 麼恁 1

    恁麼(いんも)の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。恁麼というのは、宋の時代の日常会話に使われていた「あれ」「それ」「何」と言うふうな意味の言葉であります。仏道というものの究極というものは何かという事が問題になるわけでありますが、釈尊の教えに従えば、我々の生活における究極のものというのは、現実そのものであって、言葉では表現できないという原則があるわけであります。今日のようにものを考えるという事が非常...

  • 正法眼蔵 仏向上事 31

    黄檗希運禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。黄檗禅師の言われた仏向上事(真実を得た後も真実に沿って日常生活を送って行く事態)というものは、現代における根拠のない事をしきりに主張する人々にとっては、理解したり事態を率直に認めたりという事は到底不可能な事であろう。根拠のない事を主張する人々は、釈尊の説かれた宇宙秩序の教えに関連しても法融禅師に及ばないところがある。仮に釈尊の説かれた宇宙...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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恁麼(いんも)の巻に入りました。 恁麼とは、宋の時代の俗語で「あの」とか「あれ」という意味を表わす指示代名詞であり、用例によっては「なに」というような」疑問の意味を表わす場合もある。言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すところから、仏教が追い求めるところの心理を言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した。 コメントお待ちしています。

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