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カテゴリ:「正法眼蔵」のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 大悟 9

    華厳休静禅師と僧との問答について道元禅師の注釈は続きます。そこでとりあえず考えて見る必要がある。悟った人(真実と一体になった境地の人)が逆に迷った状況と言うものは、悟っていない人(真実と一体になっていない境地の人)と全く同じなのであろうか。悟った人が逆に迷う場合には、悟りと言うものを素材として迷う人をつくりだすのであろうか。自分以外の何処か別のところから迷いと言うものを持ってきて悟りを隠して逆に迷うの...

  • 正法眼蔵 大悟 8

    華厳休静禅師と僧との問答について道元禅師の注釈は続きます。迷っていないという状態が悟る(真実を得た)ことではない。そうかといって、迷っていないことが悟りではないという事であるならば、大いに真実を得るために、その材料を作るために、悟る準備として迷おうとそういうバカげたことでもない。真実を得た人がさらに真実を得るという事もあるし、迷っている人が真実を得ると言う場合もある。真実を得た人がいると同時に、真実...

  • 正法眼蔵 大悟 7

    京兆にある華厳寺の休静禅師に対してあるとき僧が質問した。「仏道修行をして仏道の真実というものをしっかりとつかんだ境地の人が、ふとした動機で迷ってしまった場合にはどうなりますか」。質問に対して休静禅師答える「割れた鏡が姿を映すという事はないし、木から落ちた花がもう一度木に戻る事はない」と。この問答について道元禅師が注釈されます。ここで僧侶が質問している事柄というものは、形の上では確かに質問の形をして...

  • 正法眼蔵 大悟 6

    ここで私(道元禅師)は臨済禅師に質問してみたい。「悟っていない人を見つける事は難しい」と言われたけれども、それと同じ様に「悟っている人を見つけることも難しい」という事がわかってこないと、あなた(臨済禅師)の言葉は仏道の理解としてまだ十分だとは言えない。※西嶋先生解説 ここまで読んでくると一般的なものの考え方からすると、よくわからないと言う事になる訳であります。そしてここで道元禅師が言っておられることは...

  • 正法眼蔵 大悟 5

    臨済院に住んでおられた義玄禅師が言われるには、「この偉大な唐の国において、悟っていない人を見つけようと思っも、悟っていない人を一人として見つけることはできない。臨済義玄禅師の言葉についれ道元禅師が注釈されます。いまここで臨済義玄禅師が言っておられるところは、正しい伝統に従って代々受け継がれてきたところの非常に大切な仏教思想の中心である。それが間違っているという事は決してあり得ない。大きな唐の国と言...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事していた愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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