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カテゴリ:44・空華のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 空華 25

    至真禅師と霊訓禅師の問答について道元禅師が注釈されます。ここで至真禅師が言われた「自分の眼が必ずしも頼りになるものではなくて、ひょっとしたら自分は見間違いをしているかもしれないと言う意識を持つ事が出来るならば、実在するかどうかはっきりしないような幻影というものは全て消えて、はっきりした実在だけが見えてくる」という言葉は仏(真実を得た人)としての実体を具えている人の言葉である。このようなところから見て...

  • 正法眼蔵 空華 24

    大宋国の福建省にある芙蓉山の霊訓禅師が帰宗寺の至真禅師に師事した際に質問した。霊訓禅師問う:仏(真実を得た人)とは、どの様な人の事を言うのでありましょうか。至真禅師言う:自分はこれから「仏とは何か」と言う事をお前に言おう。しかし私の言葉を聞いた時に、お前が本当に私の言葉を信じるかどうかちょっと疑問だ。霊訓禅師問う:師匠からの真心こめた言葉を、どうして信じない事がありましょうか。至真禅師言う:お前自身...

  • 正法眼蔵 空華 23

    張拙秀才は石霜慶諸禅師の在家の弟子であった。真実を得た時に頌(詩)をつくって言う。張拙秀才言う:仏教が主張する非常に落ち着いた境地も、我々の日常生活も結局は空華(実在するかどうかわからない現象)でしかない。張拙秀才の言葉について道元禅師が注釈されます。涅槃(身心の安定した至福の境涯)とは、阿耨多羅三藐三菩提(最高にして均衡のとれた正しい真実)である。釈尊やその弟子が住まっておられる境地が「涅槃」であり「阿...

  • 正法眼蔵 空華 22

    張拙秀才は石霜慶諸禅師の在家の弟子であった。真実を得た時に頌(詩)をつくって言う。張拙秀才言う:欲望(煩悩)というものは、断ち切ろう、取り除こうとすると、弊害をさらに増やす。張拙秀才の言葉について道元禅師が注釈されます。様々な弊害となるというものが従来からなかったわけではない。特に極端な弊害としては、仏と言うものにこだわり、仏教界の諸先輩と同列になろうとする執着である。その様な弊害がすでにあるにもかか...

  • 正法眼蔵 空華 21

    張拙秀才は石霜慶諸禅師の在家の弟子であった。真実を得た時に頌(詩)をつくって言う。張拙秀才言う:感覚を司る六種類の器官(眼・耳・鼻・舌・皮膚・神経中枢)がほんの僅かでも動くならば、その感覚器官が刺激を受けた事によって、意識というものが曇らされる。張拙秀才の言葉について道元禅師が注釈されます。ここに言う六種類の感覚器官とは、やはり眼・耳・鼻・舌・皮膚・感覚中枢の六つを指すのであるが、必ずしも六種類の感覚...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫婦で店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。     

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