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カテゴリ:40・道得のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 道得 9

    趙州従諗禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。趙州従諗禅師の言われている事は何かというと、坐禅の形でジ-ッと動かずに坐って、口では何も言わない状態というものを、真実を得られた方々もこれを啞とは呼ばないであろうし、啞以外の何かだというふうに限定付けることもしないであろう。。啞だとか啞でないとかいう事を超越した状態である。一生寺院生活を離れない、仏道修行をやめな...

  • 正法眼蔵 道得 8

    趙州従諗禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。人間の一生と寺院生活を考えてみた場合に、その両者の間には広い通路が用意されているとは必ずしも言えない。そこで我々はただただ坐禅をするという事をはっきり見据えるべきである。口に出して何も言う事ができないという事を嫌悪してはならない。口に出して何も言わないという事こそ、真実を口に出して言う事の初めであり終わりであると言う事も出来る。坐禅の状態で...

  • 正法眼蔵 道得 7

    趙州従諗禅師がたくさんの人々に説示した。 お前方がもし一生の間寺院生活を離れず、ただただ黙々と坐禅ばかりして何も言わない状態が10年、15年の長きに及んでも、人はお前方のことを啞と呼ぶことはないであろうし、諸仏(真実を得られた沢山の方々)と言えども、お前方をないがしろにする事はあり得るはずがない。趙州従諗禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。この様な趙州従諗禅師の言葉から考え...

  • 正法眼蔵 道得 6

    この様なところから考えてくると、太祖慧可大師が三度礼拝してから、自分の定位置で叉手して立つ事で表現された真実と言うものは、皮・肉・骨・髄と言う回答にそれぞれの差別があるという解釈をする人々の言っている事とどうして同じ境地という事が出来よう。皮・肉・骨・髄の言葉で弟子の境地を差別的に評価する人々の考えでは、大祖慧可大師の境地はわからないし、またそれを具えているという事はあり得ない。現に私(道元)が自分...

  • 正法眼蔵 道得 5

    その様な形で自分自身が様々な障害から脱け出す事が出来た場合には、周囲の山や河や国土もこだわりから抜け出して自由自在な境地に置かれた状態になるのである。その様な一切のものから解放された究極の最後の素晴しい状態と言う考え方に基づいて、それに到達しようとして一所懸命努力している状態そのものが、すでに真実が現れた事態を意味するのである。その様な形で一切の障害がまさに抜け落ちてしまったような瞬間においては、...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫婦で店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。     

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