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カテゴリ:35・阿羅漢のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 阿羅漢 10

    我々の住んでいる現実の世界というものが、時間を越えて永遠の今と言う形で実存し運営が行われているのである。真実を見る眼玉というものをえぐり出してしまう様な力量と言うものを学ぶべきである※西嶋先生解説つまり、真実というものを掴むためには、眼で単に見ているという事だけでなしに、そういう眼の玉もえぐり出す様な徹底した見方をしないと真実と言うものが見えてこない。眼玉をえぐりだすような徹底した真実の見方とは何...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 9

    釈尊の説かれた教えと我々の住んでいる宇宙とは全く一つのものである。だから宇宙の現実があるだけで、特別に声聞乗があって、四段階の目標に向かって努力し、四段階の成果を得ることによって阿羅漢果が得られると言う特別の説明が必要なわけではない。阿羅漢と言えども、現実の宇宙の中で何とかして釈尊の教えを得たいと思って一所懸命に努力しているだけであるから、菩薩乗の場合や仏乗の場合と少しも変わりがない。阿羅漢と言う...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 8

    言葉を通して理論的に仏教を説いていく教典の中では、究極の境地である阿羅漢というものが実は真実を得た仏の境地と同じであると主張している。ここで主張されている事は、まさに釈尊の説かれた真実そのものの体験であり解明である。それは単に議論だけで仏道を論議している人々だけが持っている思想と言うわけではない。阿羅漢と仏の境地とが同じだと言う考え方が釈尊の説かれた教えにおける共通の原則である。阿羅漢とは声聞乗の...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 7

    法華経の方便品において釈尊が言われている。もし仮に自分の弟子が、自分で「私は阿羅漢(声聞乗の最高の境地に達した人)である、辟支仏(縁覚乗の最高の境地に達した人)である」と言った人がいたならば、その人は仏はただ菩薩(行いを通して仏道を勉強する人々)のみを教化すると言う事実を聞いてもいないし知ってもいない。この様な人々は弟子でもないし、本当の意味で阿羅漢でというわけにはいかない。釈尊の言葉について道元禅師の...

  • 正法眼蔵 阿羅漢 6

    「自分たちは今まさに本当の意味での阿羅漢になりえた。釈尊の説かれた真実と言うものを言葉にして、それらの言葉をこの世の中の一切のものに聞かせよう」という言葉が「妙法蓮華経」の中に説かれている。道元禅師が「妙法蓮華経」の中に説かれている言葉について注釈されます。一切のものに釈尊の教えを聞かせようと言う言葉の趣旨は、この世の中に存在するすべてのものを釈尊の教えを説くところの声とすると言う事である。人が阿...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫婦で店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。     

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