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カテゴリ:30・行持(上)のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 行持(上) 54

    唐の宣宗皇帝は憲宗皇帝の第二子であった。若い時から極めて頭がよくすばしこかった。普段から坐禅(結趺跏坐)をする事を好み宮殿においても常に坐禅をしていた。穆宗皇帝は宣宗皇帝の兄であった。兄の穆宗が皇帝の位についていた時、朝の政が終わった直後、宣宗皇帝がふざけて天子の席に着き多くの臣下に挨拶する真似をした。これを見ていた大臣は頭がおかしくなったと思い直ちに穆宗皇帝に報告した。穆宗皇帝は宣宗皇帝が高弟の席...

  • 正法眼蔵 行持(上) 53

    臨済禅師が黄檗禅師の教団にいた頃、黄檗禅師と一緒に杉や松の苗木を植えていた時に黄檗禅師が臨済禅師に質問した。黄檗禅師問う。この深い山の中でたくさんの木を植えているけれども、いったいそれが何の役にたつのか。臨済禅師言う。一つには、寺院の景色を良くするために植えるんです。二つには後世の人のための目印になると思う。――臨済禅師はこの二つの事が、杉、松を植える目的だという事と同時に「わかりましたか」という意...

  • 正法眼蔵 行持(上) 52

    臨済義玄禅師は黄檗希運禅師の正統な後継者である。臨済禅師は黄檗禅師の教団にいて三年を経過したけれども、黄檗禅師に質問をした事がなかった。それを傍で見ていた睦州禅師が「お前は師匠に質問したらどうか」と臨済禅師に勧めた。そこで臨済禅師は黄檗禅師のところへ行って、仏法の大意を質問する事三回に及んだ。ところが黄檗禅師から三回が三回とも棒で六十回たたかれた。臨済禅師は何の事かよく意味がわからなったが、さらに...

  • 正法眼蔵 行持(上) 51

    香厳智閑禅師は潙山霊祐禅師のもとで仏道修行をしていた。ある時、潙山霊祐禅師が香厳智閑禅師に質問した。「本から引いてきた借り物の言葉でなくて、お前自身の言葉で仏道とは何かを言ってみよ」と。香厳智閑禅師はたった一つの言葉を言おうとしたが、何回となく試みたにも関わらずとうとう何も言う事が出来なかった。そこで師匠の質問に答えられなかった事を非常に残念に思って、長年大切にしていた書物を全部火の中...

  • 正法眼蔵 行持(上) 50

    南嶽懐譲禅師は大鑑慧能禅師の弟子となって侍者としての生活が15年に及んだ。大鑑慧能禅師の持っておられた真実を受け継ぎ日常生活の生き方を受け継いだ様子は、ちょうど一つの器の水を別の器に移し変える様に、大鑑慧能禅師の持っておられたものはすべて南嶽懐譲禅師の体に入り、心に入ると言う状態で真実の伝承というものが行われた。この様な過去の先輩方が実際に行われていた様子と言うものは、極めて慕わしいところである。簡...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」戒名は幽村芳春。
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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行持の巻に入りました。この言葉は「いまといふ道は、行持より先にあらず、行持現成するを、いまといふ」と示されているところから見ると、保持、持続という事の意味が、時間的継続と関係の薄いところは明らかであり、むしろ持とは宇宙秩序の保時、戒律の保持という意味が強いと解される。そこで行持とは梵行持戒、すなわち正常な行為と戒律の保持を省略した言葉と解される。

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