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カテゴリ:28・仏向上事のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 仏向上事 26

    石頭無際大師と道悟禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。我々の住んでいる世界の実情というものは、人に強制されるからでもない、自分が努力をするわけでもないけれども、各人がそれぞれ独自の存在として自由自在の境涯にいるのである。「大空が白い雲が飛ぶ事の邪魔をしない」と言う言葉によって、表現された実態なり外見なりというものをここでは取り上げておられるのである。まさにこの様な境地に我々が立った場合に...

  • 正法眼蔵 仏向上事 25

    石頭無際大師と天皇道悟禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。さらにこの言葉に敷衍して述べるならば、大空というものが、大空の邪魔をするという事は決してない。そして大空は大空が飛ぶ事の決して邪魔にならないと言う事が実情であると同時に、白い雲もまた白い雲で独自の存在として自由闊達に大空を飛んでいるのであって、白い雲が白い雲自身の邪魔をするというようなことはあり得ない。そしてさらに、白い雲の飛んで...

  • 正法眼蔵 仏向上事 24

    石頭無際大師と天皇道悟禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。道悟禅師は「一段と進んだ境地において、ほかに問題の本質を表現するような言葉がありますか」と質問した。仮にこの道悟禅師の質問に対して、石頭無際大師が別の言葉で仏道の大意を表現する事が現実にできたならば、石頭無際大師はさすが真実を得た上にさらに仏道の追求をしていくという境地を具体的に実現しておられたという事がわかる。ここで「別の言葉」...

  • 正法眼蔵 仏向上事 23

    石頭無際大師と道悟禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。真実を得たいと言う気持ちを起こし、修行し体験をするという事態はないわけではない。しかしながらその内容というものは、頭の中で理解できるという性質のものではない。その究極の趣旨というものは、人間の頭で「わかった」というふうなものではない。修行や体験というものがないわけではない。また修行や体験というものがあるとも断定はできない。我々の修行、...

  • 正法眼蔵 仏向上事 22

    石頭無際大師の教団で天皇寺の道悟禅師が質問した。釈尊が説かれた教えの根本的な意味というものは、一体どういう事でありましょうか。石頭無際大師言う。釈尊の教えの根本というものは、つかめるとか、認識出来るとか、知る事ができるとかというふうなものではない。道悟禅師問う一段と進んだ境地で、さらに別の表現がありますでしょうか。石頭無際大師言う大きな空というものは、白い雲がいくら飛んでも、限界があって白い雲が飛...

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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫婦で店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。     

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