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カテゴリ:27・坐禅箴のエントリー一覧

  • 正法眼蔵 坐禅箴 21

    そこで南嶽懐譲禅師がさらに示して言う。「お前が坐禅を勉強しているという事は、実は坐った形で仏そのものになっていることだ」と。南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。南嶽懐譲禅師が言われた言葉を大いに勉強して、釈尊以来代々の祖師方によって伝えられてきたところの大切な要点というものを判断し自分のものにすべきである。我々はふだん坐禅というものを勉強しているけれども、それが一体根本的にはどういう...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 20

    南嶽懐譲禅師の「牛車が動かない場合に、車を打った方がよいか、牛を打った方がよいか」という質問に対して、馬祖道一禅師は答える事なく黙っていた。馬祖道一禅師の態度について道元禅師が注釈されます。馬祖道一禅師が返事をしないで黙っていたと言う事情をうかうかと見過ごしてはならない。馬祖道一禅師が示した態度というものは、敷瓦のような価値の低いものを投げ捨てて、価値の高い宝玉を取り上げるという態度であり、首の向...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 19

    南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。牛を打つ(心の問題として坐禅を考えていく)というやり方が世間一般の考え方としてあるけれども、釈尊の説かれた教えの中において、牛を打つとはどういうことかをさらに学んでみなければならない。それは去勢された水牛に譬えられた自分自身を打つことなのであろうか、鉄の牛に譬えられた師匠としての心のあり方を打つことなのであろうか。泥の牛に譬えられた一般人の心境を打...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 18

    南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。また「牛車が動かない場合に、車を打った方がよいか、牛を打った方がよいか」と言われているところから見ると、車を打つという場合もあり、牛を打つという場合もあるということを勉強しなければならないようにも思われる。※西嶋先生の話ここで「車を打つ」とか「牛を打つ」とかという事で何を意味しているかというと、坐禅に関連して言うならば、坐禅を心の面から見るという...

  • 正法眼蔵 坐禅箴 17

    馬祖道一禅師の「それでは一体どうしたらいいのでしょうか」という問いに対して、南嶽懐譲禅師言う。「人が仮に牛車を走らせている場合に、車がどうしても前に進まなかったならば、車を打った方がよいか、あるいは牛を打った方がよいか」と。南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。ここで「牛車が進まないならば」と言っているが、牛車が進むというのはどういう事なのか、牛車が進まないと言うのはどう言う事なのか。...

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問、ありがとうございます。
夫と二人暮らし。67歳。自営業。
自宅で毎日(朝・晩)坐禅をしています。
師事した愚道和夫老師より
平成13年「授戒」を受け、
平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅とは姿勢を正してきちんと坐ることである。 姿勢反射が働いて、交感神経と副交感神経とが同じになり、 考え過ぎからくる不満がなくなり、感じ過ぎからくる不安が消える。 実行力が生まれ、やりたいと思う事が直ぐできるようになり、 やりたくないと思う事はやめることが出来るようになる。 自分自身と宇宙とが一体となり最も幸福な人生を送ることが出来る。

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