FC2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 面授 19

承古禅師の説法について道元禅師の注釈は続きます。

黄檗禅師は時代を超えて真実を得た方と言う事が出来る。仏教界において法を継ぐという事が、一体どういう内容のものかという事を十分承知しておられる。しかしながら汝(承古禅師)は仏教界において、法を継ぐという事の基本的な原則がどのようなものであるかという事を、いまだかつて夢にさえも見たり聞いたり学んだりすることがないように見受けられる。

黄檗禅師はその師匠である百丈禅師の法を継いでおられるし、また達磨大師以来の代々の祖師方の教えを十分に身につけ保持している。黄檗禅師は師匠である百丈禅師と直接お会いし、本当の意味で百丈禅師のお人柄を見たという事が出来る。しかしながら、汝の様子を見てみると、師匠と出会うという事が全く見受けられないし、達磨大師やその他の代々の祖師方の人格がどういうものかわかっていないし、自分自身とは何かがわかっていないし、自分自身と出会ったという様子も見えない。

汝のような状態であるならば、過去における祖師方の誰一人として汝の様子が仏教界の真実を得た状況であるというふうに見る方はいないであろう。ところが汝は師匠としてもものの見方がまだ開かれていないし、本当の意味でその境地がまだ完全でない。そして法を継ぐという点でもまだ十分とは言えない。汝には雲門禅師が黄檗禅師の孫弟子にあたる方だという事がわかっているのかどうか。汝程度の力量で、どうして百丈禅師や黄檗禅師の言われた事の意味を想像することできよう。

汝の境地からするならば、雲門禅師の言われた事でさえ想像する事が出来ないであろう。百丈禅師や黄檗禅師の言われた境地というものは、仏道を本当に学ぶ力量のある者だけがこれを取り上げて論議することが出来るのであり、直接ゆったりと自分自身が落ち着ける境地を持っている者が、初めて百丈禅師や黄檗禅師の言われた事の意味を想像することが出来るのである。ところが汝は本当の意味で仏道を学んでいることにならないし、自分自身の落ち着ける境地をしっかり確保しているとは言えないし、そのような落ち着ける境地がわかるとか想像できるとかという状態にも達していない。



              ―西嶋先生の話―

人間、不幸の時に決して悲観すべきではない。それと同時に、調子のいい時も有頂天にならないと言う事が大事です。これが人間の生き方として非常に大切だと言う気がするわけです。不幸の時に気持ちを滅入らせてクヨクヨしない事、これが一人前の人間の条件だと思う。また調子のいい時、有頂天になって浮かれて足を踏み外す事のないと言う事、これも一人前の人間としての条件ではなかろうかと思うわけです。

ところが世間では一般には、調子が悪いともう途轍もなく悲観してしまう。それと同時に、ちょっと調子がいいと、実に有頂天になって喜ぶ。えてして調子が悪くても、そのとき悲観せずに一所懸命やると非常にいい結果を生むし、調子の悪い時にガッカリしてしまうと、ろくなことがないと言う問題があるわけです。これは単に仏教で説かれるだけではなく、中国の古い思想にもあります。それは、大抵の人が知っている有名な「人間万事塞翁が馬」と言う話がある。

「人間万事塞翁が馬」の話
昔、中国の都市があって、そこの城壁のそばに一人の老人が住んでいた。その老人には一人の息子がいた。そして、1頭の馬を飼っていた。ところが、その馬がある日、城壁の外に逃げ出してしまった。そこで近所の人が「せっかく1頭の立派な馬がいたのに、逃げてしまってお気の毒ですねえ」と老人に言った。ところが老人は「いやぁ、まあそう大して悲観する事もないよ」と言っていた。

ある日、その城外に逃げて行った馬が、沢山の野生の馬を引き連れて老人の所へ戻って来た。そこで、近所の人が「いや、良かったですね」と老人に言った。ところが老人は「いや、大したことはないよ」と言って平然としていた。

ある日、一人息子がその沢山の馬のうちの1頭に乗っている時、馬から落ちて足を怪我してしまった。一人息子が怪我をしてしまったので、近所の人がまた「お気の毒ですねえ」と言った。ところが老人は「いや、大したことはないよ」と言って平然としていた。

それからしばらくして戦争が始まり若者はどんどん兵隊に取られ戦死していった。しかし、老人の一人息子は、怪我をしているので兵隊に取られなかった。そこで近所の人がまた「良かったですね」と言った。

そんな事で、単に仏教思想だけではなしに中国の古い思想にも、世間一般で不幸だ不幸だと思われている状態にぶつかった時に決して悲観する必要はないと言っている。その不幸だと思われた状況の時に、それを跳ね返すだけの力があってこそ初めて人間なのである。

そういう時に、跳ね返すだけ力がなければ人間の部類に入らないと見ていい。それから、調子のいい時にワ-ワ-浮かれ自分の調子が維持できないと言う事も、やっぱり人間としては多少欠ける面があると言う事が言えるのではなかろうか。


ご訪問ありがとうございます。

宜しかったらクリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

フリーエリア

ご訪問ありがとうございます。 にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

FC2カウンタ-