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正法眼蔵 無情説法 6

大証国師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。

愚かな人々が考えるように木の枝が林の中でざわざわと音を立てたり、葉や花が春には芽吹いたり開いたり、秋にはしぼんだり散ったりしていく様子が無情説法(自然の説法)であると考えるようでは釈尊の教えを学ぶ人々と言うわけにいかない。自然の音が聞こえ自然の情景が眼に入るという事が無情説法であるならば、誰でも「無情説法」は分かるし説明すれば納得するはずである。そこでとりあえず問題を自分の内側に振り向けて見よう。

無情(心理作用のないもの)と呼ばれる世界の中には、草や木や林があると考えたらいいのかないと考えたらいいのか。 あるいは無情の世界の中には有情(心理作用のあるもの)の世界が混在しているのかいないのかという問題を考えてみる必要がある。草木瓦小石という植物や鉱物と呼ばれるようなものが無情だという風に理解しるならば、学問を隅々まで行きわたらせているという風に言うわけにはいかない。

「無情」と言う言葉の意味を草や木や瓦や小石という植物、鉱物の意味だと捉えるならば、仏道を勉強する上において十分いくところまでいったと評価する訳にはいかない。仮に人間がとりあえずいま考えるような見方をして、無情とは草や木であると一応決めつけてみたところで、現に人間が草と考え木と考えているものも一般の人が想像し切れるほど単純なものではなく狭い範囲のものではない。その理由は何かと言うと、中国に生えている草木と日本に生えている草木とは同じではない。また海の中に生えている草木と山の中に生えている草木も同じではない。



          ―西嶋先生にある人が質問した―
質問
無情と有情の区別ですね、草木なんていうのは有情だけれども、瓦礫とかそういうものは無情と言う風に区別しなきゃならないんじゃないかと思いますけど・・・。

先生
そういう見方ではなしに、道元禅師の見方と言うのは客観的な世界というものが人間も、動物も、草も、木も、石も水も、そういうものが全部一つの共通した実体の中の程度の差だという捉え方があるわけですよ。だから人間と獣が有情で、草木や石は無情だとそういう捉え方はしておられない。そういう事がこの文章の中にも出て来るわけです。むしろそういう風に単純に二つに分けられるほど簡単なものではない。その点では、中国と日本の草木を見ただけでも非常に違っていると、そう言う事に触れているわけです。

質問
「正法眼蔵」の中に天上界と言う言葉が出て来ますが、どのように理解すればいいんでしょうか。

先生
仏道の関係から言うと、仏道の世界が出てこない以前にも神の世界はあるんですよ。それはどう言う事かと言うと、人間は神の世界の存在を頭の中で考える事ができるという事があると思います。この事はどう言う事かと言うと、人間の頭の中で考えて非常に素晴らしい理想の世界というものを考える事ができると言う事と、どこの民族でも非常に古い時代から神というものの存在を信じていると言う事と関係があると思います。

ですからそういう点では、古代インドにおいても神の存在と言うものが考えられていて、釈尊がそういう神々の信仰に対してどういう態度をとられたかと言うと、人間が考え出したものだという事実を認められて積極的な排除はされなかった。したがって仏教経典の中には、天上の世界とか、それに住まう神々と言うふうなことも出て来るわけです。

仏道との関係でそういう神々がどういう地位にあるかといいますと、むしろ仏の世界の方が実在の世界であって、神々の世界というのは人間の頭の中で考えられた世界と言う事になるわけです。それと同時に人間が頭の中で考え得るんだから、その存在を必ずしも否定しなくてもいいと、こういう態度が仏教の神々に対する態度だと思います。

ですから仏教以前に神々が沢山おられたわけですけれども、そういうものを眼の仇にして排除するということはされなかった。人間にとって考えらることが出来るのだから、強いて存在を否定する必要もなかろうという大らかな態度で仏教の思想体系の中に残されたという事情があると思います。

「正法眼蔵」の中でも人間界・天上界というものが終始出て来る。ですから、そういうものの存在を目くじら立てて否定する必要もないけれども、仏の世界はそれを乗り越えた上の世界、あるいはそういうものとは別の世界だと、そういうふうに考えていいと思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

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