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正法眼蔵 無情説法 5

大証国師と僧の問答について道元禅師が注釈されます。

仏教の教えには昔から、草や木や山や川のような自然が釈尊の教えを説くという「無情説法」と言う言葉がある。無情説法を勉強したいと思う初心者や時代が遅れて仏道を学ぶ人々は、この大証国師と僧の問答に関す話に直接触れて勉強してみる必要がある。

大証国師も「無情説法という事態は自然が常に釈尊の教えを盛んに説法していて途絶える事がない」と言っている。「常」という言葉の意味はたくさんの時間の中における瞬間瞬間の時間を述べている。「途絶える事はない」とは、釈尊の教えが説かれている事態が現れている場合には例外なしに途絶える事がないのである。

そこで無情説法のあり方は、必ずしも有情(人間)の説法と同じだと学んではならない。説法と言う字が同じであるからと言って、有情と無情の説法とが同じだと学んではならない。有情の説法のやり方はいずれも、人間の声や人間の持った説法のやり方に特有の様子を示す筈であるから、有情の説法を無理に借りてきて、無情の世界で行われる説法に押し当てる事は釈尊の説かれた教えではない。

無情説法の場合には、それが常に人間が説法するのと同じ様に声が空気を震わせて伝わってくるとは限らない。有情(人間)が行う説法と言えども、単に声が響いてくると言うだけの問題ではなく、声が聞こえてくる以外の意味がありその説法によって感じ取れるものがある。

そこでとりあえず有情とはいったいどういうものか、無情とはいったいどういう事を意味しているかと、自分自身に尋ねてみたり自分以外の人にも尋ねてみると言う形で様々に努力して勉強してみる必要がある。無情説法の様子に関しても、いったいどのような状態が「無情説法」と言われるものであろうかと、詳細に心にとめて学んでみるべきである。


                    
          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
占いとか占星術とか、根拠がある様な無い様なものを先生は信用しませんか。
    
先生
私は信じません。 で、それは「正法眼蔵」に「仏法に無因の説なし」と言う教えがあるんです。つまり釈尊の教えの中には原因のない説と言うものは無い、一切が原因・結果の関係であると。 「仏法に無因なし」と言うのは非常に短い言葉ですけれども、大変大事な事です。だから私は占星術と言うようなものは信じない。いくら信じようと思っても信じることが出来ない。

努力しても信じることができない。それは色々と難しい理論があって、それぞれ主張される根拠はあるんだろうと思うけれども、私は因果関係の世界を信じているから、因果関係の世界というものとのズレを感じるから、そういうものを信じる事が出来ないというのが実情です。

質問
山川草木を聞いて、たとえば鎌倉時代だと兼好法師とか文学の世界に出て来るんですけど、樹木の鳴る動きで世の中の無情を感じるとか、たとえば「源氏物語」の世界にも、そういうふうな「もののあはれ」と言うのがあるんですね。そういうのは僕らでも何となく趣がある様に思うんですけれども、仏法の立場からするとそういうふうに感じるのは、ちょっと感傷に過ぎるからあんまりよろしくないというような目安もあるんですか。

先生
うん、道元禅師の主張はそういうふうな問題を頭においておられます。ですから木の葉のささやきとか、あるいは花が咲いたり散ったりするというふうな事が、無情説法だというふうな捉え方についてはここでは批判的な見方をしておられるわけです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

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