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正法眼蔵 蜜語 5

雲居道膺禅師と役人の問答に関連して道元禅師が注釈されます。

雲居道膺禅師は青原行思禅師から五代後の正統な後継者としてこの世に現れた師匠であり、あらゆる方角に広がるこの宇宙の中における偉大な高徳の僧侶であった。人間を教化するばかりでなく、草や木や石などにまで教化を及ぼした。過去七仏以来代々の祖師方を数えてくると、雲居道膺禅師は四十六代目の正統な仏教教団の指導者であり、仏道の真実を得た人々のためにさらに説法をされた。

かつて三峰庵という小さな庵の中で仏道修行をしていた時代には、天使が食事を提供していたと言われている。(何らかの人が食事を提供したが誰が食事を提供していたかわからないので天使かもしれないと言う理解の仕方をされている)そして仏道修行の結果、師匠から法を伝承し真実を把握した時点以降は、天使から供養を受けるという境涯さえ超越したと言われている。

雲居道膺禅師が述べているところの世尊ニ密語有り(釈尊には音は聞こえていないが意味を伝えるような言葉があり)、迦葉覆蔵セズ(ありのままをすべて現していて隠しているものは何もない)と言う言葉は、毘婆尸仏以来四十六人の仏教教団の指導者を通じて伝えられたものではあるが、同時に四十六人の仏教教団の指導者がそれぞれ持っていた本来の姿として、人から教わって得られたたものでもなければ、外からやってきたものでもない。そうかといって本来自分自身が持っているものだから無くなる筈がない、いつでも自分に具わっているという性質のものでもない。

世尊の密語というものは、釈尊だけに「密語」はあるという事ではなしに、釈尊と同じ様な人格になり得た人々は、必ず蜜語(音を含んでいない言葉)というものを語る事ができる。そして蜜語を語りかけているという事は、別の言葉で言うならば摩訶迦葉尊者と同じように、一切のものをさらけ出してありのままの姿を示しているという事でもある。

※西嶋先生解説
この事はどう言う事を言っているかというと、先ほど我々は坐禅をしていたわけでありますが、その45分間というものを我々は釈尊と同じような足の組み方をし、釈尊と同じような手の組み方をして、釈尊と同じような腰骨の保ち方をしていたと、こういう事が言えるわけであります。そういう風に釈尊と同じ足の組み方をし、釈尊と同じ手の組み方をし、釈尊と同じように姿勢を保っておるという事が釈尊自身になった事であるし、そういう状態の場合には釈尊が持っておられたと同じような蜜語を語っていたという事が言えるわけであります。

その事はどういうことかというと、坐禅をしている人の姿勢を傍から眺めると畏敬の念に打たれるという事がある訳です。その点では、沢木老師がよくまだ正式の僧侶になっておらない時代に、お寺の休みの日にこっそりと暗い部屋で坐禅をしておったら、ふだん自分をいじめてしょうがない寺のばあさんが、沢木老師の坐禅をしている姿を見たとたんにその前に跪いて「なむあびだぶつ」と言って沢木老師の姿を拝んだと言う話をしておられたわけでありますが、坐禅の姿にはそういう内容が含まれていると言う事が言えるわけです。

そのことは釈尊と同じような姿勢を示すことによって釈尊と同じような蜜語を周囲に語りかけているという事情があるわけであります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。自営業。69歳。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」を受け、平成20年「嗣書」を授かりました。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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