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正法眼蔵 諸法実相 5

(法華経方便品においての)釈尊の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

この様に考えて来ると、我々を取り巻いている周囲の実在というものが、現に実在としての姿を現し、ありのままの姿を表わしている、現に周囲の実在としてあると言う事が、ありのままの姿を示しているという事であり、ありのままの本質を示していると言う事に他ならない。真実の姿がまさに真実の姿を示している、ありのままの姿がありのままの姿をまさに眼の前に示 していると言う事が、眼の前にある姿であり眼の前にある本質である。

釈尊が諸法実相というものは、真実を得た人と真実を得た人だけが究め尽する事が出来ると言う主張を持ってこの世に出られたという事は、この宇宙の一切が真実の姿を示しているという思想を説かれたことを意味するのであり、また実践されたことを意味するのであり、また体験されたことを意味するのである。どの様な事を説かれたかと言うならば、この宇宙の中に生きて仏道修行をし、真実を求める人々のみが究め尽くす事が出来ると説かれたのである。

その点では究極において究めつくすという状態ではあるけれども、人間がどういう態度でどう生きるかと言う事と密接に関係している。やろうと思えば出来ると言う事であり、やろうと思えば出来るという事は、やる気がなければ出来ないと言う事であり、やる気がありさえすれば出来ると言う事である。

我々の人生は現在の瞬間だけである。過去・現在・未来という時間的に横に並んだものではなく、瞬間、瞬間の一所懸命な人生というものを振り返って見るならば、あの時もよかった、この時もよかったし、今後もよいであろうと言う事でもある。この世の中に生きている人間が一所懸命に仏道修行をして真実を得ようと努力すればこそ、宇宙もありのままの姿を示すと言う事情がある。その様な意味で、我々の生きている宇宙が真実の姿を示しているという言葉の意味は、現に目の前にこのような姿があるという事である。



              ―西嶋先生の話―

先日来、「諸法実相」の巻をやっておるわけでありますが、この諸法実相と言う考え方は仏教を勉強していく上においては非常に大切な考え方であります。「仏教思想とは何か」といわれた場合に「諸法実相の考え方だ」と、こういう捉え方も決して間違いではないわけであります。決して言い過ぎではないわけであります。

道元禅師は「正法眼蔵」中で「妙法蓮華経」を沢山の仏教経典の中の王だと説いておられますが、「妙法蓮華経」がたくさんある経典のうちの王であるという理由は「妙法蓮華経」が「諸法実相」の考え方を説いていると言うところにあろうかと思う訳であります。「諸法実相」というのは、我々が生きているこの宇宙、あるいは世界と言うものがありのままの姿を示しており、またそれが真実の姿であるという考え方であります。

ですから「諸法実相」の考え方は一口に言うならば現実肯定の考え方であります。ただ今日、仏教思想が「諸法実相」の考え方であると言う理解の仕方は非常に少ないわけであります。なぜ「諸法実相」と言う考え方が今日軽視されているか、あるいはほとんど忘れられているか、あるいは否定されているかと言う事を考えていきますと、それは我々が今日置かれている西洋思想と我々の今日の時代との関係にあるわけであります。

我々は明治維新以来、日本の国が近代国家になるために一所懸命西洋の学問を勉強し、西洋の思想を勉強してきたわけでありますが、その過程で、当然宗教に関連しても西洋思想の立場で宗教をどう考えるかということをまず考えて、それを出発点にして宗教を考え、仏教を考えてきたわけであります。そういたしますと、西洋思想の中にはすでに非常に立派な宗教があるわけであります。

それは何かというと、キリスト教と呼ばれる宗教であります。西洋におきましては、そのキリスト教が何百年もの間、西洋の社会を支配し、西洋の文明をリ-ドする役割を果たしてきたわけであります。ところが、そのキリスト教と言う考え方は現実肯定の考え方ではないわけであります。つまり、この世の中と言うものは必ずしも清らかな世界ではない、正しさの通っている世界ではない。したがってこの世の中というものを否定して、神の国、あるいは理想の世界というものを求めて、それを実現する立場が宗教だと、こう言う事が基本的な考え方としてあるわけであります。
                       つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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