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正法眼蔵 諸法実相 2

「諸法実相」の巻、本文に入ります。

この世に沢山の方々が出て仏道の修行をして仏道の真実を掴まれたけれども、そういう事実というものが何を意味するかというならば、この世の中の実際のあり方を埋め尽くしたという事を意味する。実相( この世の中が示している実体というもの)が、実は諸法(我々の住んでいる宇宙の本質)である。諸法は何かと言うならば、現に我々が眼の前に見ている姿である。

また現に目の前に展開されている物質的なものであり、現に目の前に展開されている精神的なものであり、現に目の前に展開 されている世界である。 また雲や雨によって代表される目の前の天然現象であり、歩く、立ち止まる、坐る、寝るによって代表される日常の動作であり、心配や喜び、動揺や静止によって代表される日常の感情的な起伏である。

また杖や払子によって代表される具体な事物であり、釈尊が華を手に取り、摩訶迦葉尊者がこれをみてにっこりと微笑されたいう宗教的なやり取りであり、釈尊の教え(宇宙秩序)の継承であり、真実の把握に関する保証を与えたりするような具体的な宗教的なやり取りであり、我々が現に行っている仏教の参究や坐禅の実修であり、我々の目の前にある松や竹である。

※西嶋先生解説
ここにおいては「諸法」というものに関連して、単に抽象的に宇宙と釈尊の教えとかと言う事以上に 、我々の周囲を取り巻いている様々な事物が「諸法」であると言う主張をされて、しかもそれが真実の姿を示していると言われているわけであります。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
唯仏与仏、これは仏様だけの世界であって、てんで問題にならない我々はこの話には関係出来ないんですね。

先生
いや、そう言う事でなしに、仏とは何かと言うと坐禅をしている人の事を言うんです。坐禅をしていると、この世の中がいかに立派なものかがわかると、これだけの事ですよ、仏と仏だけが諸法実相を究め尽くす事が出来ると言うのは。つまり自分がしっかりしてくると、世の中がいかに素晴しいかが分かると言うだけの事。
    
だから仏と言うのは特別の事ではなしに、坐禅をしている人の事を言う訳です。坐禅をした事のある人は、坐禅というものがどういうものか分かりますと言うだけの事ですよ。

質問
そうなんですね。それなら私達もこのお話の中に入って伺えばいいわけですけど。

先生
ですから「妙法蓮華経」の思想と言うのは、非常に肯定的な楽観的な思想です。ただ、たいていの人はこういう話を聞くと遠慮しちゃうわけです。「いや、そんな結構な世の中じゃ一所懸命やらなきゃならんから、まあ勘弁してください、そのほうが苦労しないですむから」とこういう風に普通考えるんですよね。
    
だから楽観的な思想と言うものは、かなり覚悟を決めて聞かないと聞きにくいわけです。「妙法蓮華経」の中でも、いよいよ釈尊が「妙法蓮華経」を説こうとし始めた時に、そこにいた三千人の僧侶達が「いや、そういう結構なお話は難し過ぎますから私どもは失礼させていただきます」と言う事でその会場から去ったと伝えられています。
    
だからそういう点では、楽観的な教えと言うのは中々大変な教えですよ。「なるほど」と言う風に受け取って「それじゃ、一所懸命やりましょ」と言う事にならざるを得ないわけです。「お前達はどうせ罪深いんだから、いくら頑張っても駄目だぞ」と言われた方が楽なんですよ。  
    
「どうせ駄目なんだから、昼寝でもしていよう」「一杯飲んでテレビ見ていよう」とこう言う事になるわけです。「お前達は仏だぞ」と言われると、これは大変なんです。ねじり鉢巻で頑張らきゃならないわけです。「妙法蓮華経」にはそういう意味がある訳です。だから「妙法蓮華経」の思想の深さと言うか偉大さと言うか、これは非常に大きなものだと言う風に感ずる事が出来ると思います。
    
ですから道元禅師も「正法眼蔵」の中で「妙法蓮華経」は経典の中の王だと言う事を言われています。その点では仏教思想の一番の中心を書かれた経典だと言える訳です。それと同時にこの「諸法実相」がまた「妙法蓮華経」の中心思想ですから、ここで説かれていると、こう言う事になるわけです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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