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正法眼蔵 説心説性 19

道元禅師の「説心説性」に関する注釈は続きます。

空間的には天地一杯の広がりを持ったものではあるけれども、時間的に考えていくならば、過去というものを考えた場合に、それは瞬間的な時間の問題であって前後は断ち切られている。現在というものを考えた場合にも、やはり瞬間において現在を考えているのであって前後は断ち切あられている。将来というものを考えた場合にも、やはり瞬間における状態であって前後は断ち切られている。一般的に言って何らかの事を考えている、あるいは直観的に捉えているまさにその瞬間と言うものは、前後が断ち切られた状態であろう。

また僧密禅師が「心を説き本質を説くという境地は、言葉で誰々というふうに説明することのできない何らかの人格である」と言われた。ここで僧密禅師は誰という言葉を二度使われたけれども、前における「誰」という言葉とその次に述べられた「誰」という言葉とは、その表現がほんの少しづつ違っている。

洞山禅師が「自分はすっかり枯れ切ってしまったけれども、今度はにわかに生き返って生き生きとした境地に入った」と言われたこの言葉は、先に洞山禅師が言われた様々の煩わしさから瞬間的に離れ得たという言葉を直接指すと考えたり、僧密禅師が言われた心を説き本質を説く境地というものを直接指して、それが言葉では表すことのできない何らかの人格的なものであると主張する向きがあるけれども、むやみにそのように主張すべきではない。

僧密禅師の言われた「言葉では表現できない誰かですね」という言葉に表された心を説き本質を説くという問題は、人間的なものと一応区別して、人間をも離れた境地で言葉では表すことのできない何かという事を意味していると理解すべきである。



              ―西嶋先生の話―

きょう最初にお話しておこうと思う話題は多少個人的なことに属しますので、あまり人前ではお話ししたくないという性格の問題です。ですからできればお話しせずに通したいところでありますが、それと同時に仏道とか、坐禅とか、あるいは悟りとか、涅槃とかというふうな問題に関連してかなり密接な関係があるわけです。ですから、ほおかぶりで通すわけにもいきませんので特にお話ししておきたいと思います。

それはどういう事かと言いますと、先月、つまりこの五月に私は実質上の独身生活に関連して十年目を迎えたわけです。私が丹羽廉芳禅師のご指導で得度式をやらせていただく、その七か月前から実質上の独身生活を始めたわけです。なぜそういう事を始めたかというと、私は決して男女問題を罪悪視して避けるべきだという考え方は持っておらんわけです。ただそれと同時に僧侶になる以上は古来のしきたりに従うべきだという事を感じまして、特に私はお寺を持っておりませんから、僧侶になりましても外見的には、大体今までとあまり変わらない生活をするという事があったわけです。

したがって、自分の可能な範囲でなるべく実質的に僧侶の生活に近づきたいというところからそういう事を始めたわけです。始めた当初は決して自信があったわけではない、どこまで続くかという感じでおったわけです。只、十年間たってその後を振り返ってみますと、殆ど何の波乱もなしに事態が経過したと、こういう事実があるわけです。それが何によってもたらされたかというと、もっぱら坐禅によってもたらされてたと、こういう事が言えると思います。

坐禅を毎朝やっておりますと、人間の状態がブラス、マイナス、ゼロになる、こういう問題があると思います。そうしますと波乱が起きて無理にそれを抑え付けて我慢をしたという事はほとんどなくて、むしろ波乱が起きなかったというのが実情です。そういう風な問題を考えていきますと、仏道というものに関連しての本質的なあり方がその辺にあるのではないかと、こういうふうに感じるわけです。

世間一般ではそういう問題に関連して、必ずしも仏教的な考え方と同調しておらないわけです。ですから波乱が無くなると心配でしょうがない。「いよいよ俺も年を取ってきたか」「俺の体力が衰えたか」あるいは「健康に問題があるんじゃないか」と言うふうに考えて、無理に波乱を起こさせるという努力を世間一般ではするわけです。人間は非常に無邪気な努力をするという面があるわけです。釈尊はそういう健気な努力に対して、本当に必要なのかどうかという事をお感じになって仏道を説かれたと、こういう問題があろうかと思います。
                             つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
夫と店を始めて43年。生活=仕事。毎日朝晩自宅で坐禅をし、愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで紹介しています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」平成20年「嗣書」を授かりました。    

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