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正法眼蔵 三界唯心 4

この様な理由から偉大な師匠である釈尊は「法華経寿量品」の中で言われた。

我々が現に生きている三界(欲界・色界・無色界)の世界をありのままに見ることが、三界とは何かということを知るということの一番よい方法である。

釈尊の言葉について道元禅師が注釈されます。
この様に捉えられた世界が、欲界(意欲の世界)・色界(物質の世界)・無色界(行為の世界)と呼ばれるところの我々の住んでいる世界である。現に我々が見ている実情そのものが三界(欲界・色界・無色界)と言う世界の実体である。

三界(我々の住んでいる世界)とは、現に我々が住んでおり現に我々が見ている世界そのものであって、哲学的な説明で無限の過去から続いている実在だと言ってみても当たっているかどうかはわからない。無限の過去から続いている実在でないとするならば、いま現に急に現れてきた存在かと考えて見るとそうとも言えない。

急に今できあがったというものでもない。周囲の様々な環境や原因があってその様な環境や原因によって作られたものだと説明してみても、それが三界という世界の実体を説明しているとは言えない。また我々の住んでいる世界というものが過去・現在・未来と言う三種類の時間だと見ようとしてもそれも中々難しい。

この三界と言う世界における生き方としては、この三界の世界から脱け出すという境地を頭で考えることによって経験する事もできる。また現在のこの場所における我々の実体というものがまさに三界だという別の捉え方もある。この様な具体的な現実的な生き方、この世の中の捉え方と言うものは、この世の中における非常に大切なものと非常に大切なものとが見合っている状態を意味するのである。

つまり我々の生きている世界は言葉では表現する事のできないもつれ合いである。そのようなもつれあいがもつれあいを発展させている、何か言葉では説明できないものがどんどん成長しているというのが三界というものの実情である。現在のこの場所における欲界・色界・無色界と言う考え方が、欲界・色界・無色界と言う三種類の世界のありのままの見方であり捉え方である。その様な捉え方を釈尊は「三界において見る」と言われたのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
世の始まりを仏教ではどういうふうに考えますか。
  
先生
「人知の及ぶところにあらず」と言うのが仏道の解釈です。この世の始まりがどうなっていたかと言う事をよく物知り顔に論議するけれども、「そんな事は人間にはわからんことだ」と言うのが釈尊の考え方です。釈尊の生きておられた時代でも、そういうことを問題にして釈尊に問答を仕掛けた人がたくさんいました。その時に釈尊は答えなかった。

答えなかった意味は、人間の頭で及ぶ事の出来ないものを論議しても始まらないと言う考え方からです。西洋思想の中で、そのことをはっきりと言ったのはカントという学者です。カントという人は、哲学を形而上学とそれ以外の哲学とに分けた。

「形而上学」というのは、この世界が有限であるとか無限であるとかを問題にして、どちらが本当かという論議をする事です。カントはそういう形而上学は、人間の知恵や人間の頭で考えてみても解らない事だから論議しても始まらないと言う事を非常にはっきりと主張されたわけです。

仏教において、そういう問題についてどういう解答をするかと言えば、「それは解らない事だから人間が論議しても始まらない」というのが、仏教における考え方だと思います。


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コメント
636: by 自遊自足 on 2018/10/18 at 06:00:00

「それは解らない事だから人間が論議しても始まらない」
って正論ですね~ 抽象的なことを話されるのかな?と思ってましたがこう断言されるとスッキリします

637:Re: タイトルなし by 幽村芳春 on 2018/10/18 at 15:15:22

自遊自足さん、コメントありがとうございます。

仏教の教えを勉強しようと思ったのは、20年くらい前に釈尊の素晴らしい言葉に出会ったからです。それからはいろんな仏教書を読みました。そして「正法眼蔵」に出会いました。今まで読んだ理想や空想を説く仏教書ではなく釈尊の教えは道元禅師の「正法眼蔵」だと確信しました。仏教を勉強するきっかけになった言葉は、カテゴリ:思うこと タイトル―坐禅と釈尊―に詳しく書きました。よかったら読んでみて下さい。またコメントお待ちしています。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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