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正法眼蔵 葛藤 16

趙州従諗禅師と僧との問答について道元禅師の注釈は続きます。

達磨大師が「真実の外側にいる者は、自分の皮を得たと表現する事が出来るし、自分の内深く入り込んだ者は自分の骨を得たと表現する事が出来る」と言われたけれども、ではその骨よりもさらに内側にいる者はいったい何を得たと言ったらよいのか述べてみよ」と趙州従諗禅師が言われた

この趙州従諗禅師の言われた言葉は質問の意味と教えの意味と両方の意味を含んでいる。ここで外とか内と述べられているけれども、その意味とは単に頭の中で理解するのではなくて、我々の日常生活に即して具体的に実態的に捉えるべきである。

外とか内とかというものを論ずる場合には、我々が持っている皮・肉・骨・髄と言う、この生身の体の外側と言う事で考えてみる必要があるし、内というものを考えるに当たっても、皮・肉・骨・髄と言う生身の体の内側と言う意味で理解すべきである。

このように考えてくるならば、達磨大師と同じ人格になった四人の弟子(道副・道育・尼総持・慧可)は、いずれも個々の瞬間、個々の場面において、百、千、万に及ぶ皮・肉・骨・髄と言う生身の体を使って、仏よりもさらに上の境地を実際に究明していたのである。

達磨大師と四人の弟子との間の問答に関連して、髄を与えられたと言われている太祖慧可大師の境地が最高の境地だと考えるべきではない。「髄」という言葉で表現されたよりもさらに上の境地もあり得るのであって、さらに三段上、五段上と言う様々な段階における境地もあるのである。

趙州従諗禅師がここで示された説法は、これこそまさに釈尊の説かれた真実そのものである。臨済禅師、徳山善事、大潙禅師、雲門禅師等の及び得ない境地であって、これらの方々はまだ夢にさえ見たことのないような境地である。ましてそれを言葉で口に現して表現する事がどうして出来よう。

最近の時代において根拠のない論議をしきりに重ねている長年の仏道修行者は、趙州従諗禅師のような境地があるという事さえ承知しておらない。趙州従諗禅師の境地を彼らに説明した場合には、驚き、怖れることであろう。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生が「坐禅をすれば健康体になる」と言われる事と実際問題とは非常に矛盾していると思って、かねがね機会があったらお伺いしようと思っていたのですが、せんだって作家の里見弴氏の「道元の話」を拝見したら、里見氏もやはりそのように考えておられたんですね。

里見弴氏は道元は五十代そこそこで亡くなって、早発性老衰と言っておりますね。若いころ一所懸命やりすぎたものだから、急にお年寄りになって寿命が尽きてしまったと。正法眼蔵の中に「自受用三昧」という言葉がありますね。私流の解釈でいうと、「論語」の「心の欲する所に従って矩をこえず」と似ていて、自由にその時の心境なり、受け取り方で行動することです。先生の言葉でいうと破滅的な場合に陥らないはずだと思うのに、道元禅師は五十代で亡くなって・・・。

先生
道元禅師は五十三才で亡くなったんですね。そういう問題に関連して、人の寿命と仏道修行との関係で考えてみますと、これは私の想像だから当たっているかどうかわかりませんけれども、道元禅師が亡くなられた一つの原因は大陸に行かれて大陸の生活習慣を克明に身につけて日本に帰られた。そしてそれを、日本の湿気の多い風土の中で一分一厘の妥協もなしに実行されたという事が、かなり大きな原因をなしているんじゃないかという見方です。

それはどういう事かというと、大陸の風土はご承知のように非常に乾燥した風土のわけです。ですから、そこで行われておった生活習慣を比較的湿度の高い風土の中で克明に実行されようとしたところから、道元禅師があるいは結核に類する病気にかかられたのではないかと、こういう事が私の推察です。そのことは、法を中国から持ってこられるために欠くことのできない一つの過程であった。

したがって道元禅師は中国から法を伝えられて日本にそれを植えつけられるために、ご自分の寿命を犠牲にされたとみることが出来ると思います。それで五十三才の生涯でありながら、あれだけ膨大な著作を書かれたという事は、三百年生きても、五百年生きても中々あそこまではいかんという仕事を五十三年の間にされたという事。だからそういう点では、仮に道元禅師の生涯が短かったとしても、短かったという事は決して問題にするに足りない。

むしろ中国から法を克明に伝えられて、それを日本の土地に植えつけられたと言う点で無限の価値があるんじゃないかと思います。それから一番最後に何か一番中心の質問をされたようですけど、どういう事ですか。

質問
「自受用三昧」と矛盾しませんか。

先生
それは「自受用三昧」があればこそ、あれだけの業績が出来たという事ですよ。普通の人が、ご飯を食べて、寝て、手洗いに行って、またご飯を食べてという事をやっておっても中々あれだけの仕事はできませんよ。どうしてそういうことが出来たかと言えば「自受用三昧」の状態にあったから、与えられた時間をフルに使うことが出来たという事が言えると思います。

質問
私は別に道元禅師をけなすわけじゃないけれども、計画的な人生があるならば「自受用三昧」の中で、孔子が言っているように「心の欲する所に従って」病気でもって命が亡くなっちゃうとこまで見当はつかなかったものでしょうかと・・・。

先生
その点では、瞬間瞬間に取り組んでおられたという事が実情だと思います。これは誰の人生でもそうです。だからあらかじめ予定を立てて、この年齢はこの位という事を立てる方もおられるかも知らんけど、むしろ仏道の立場からするならば一日一日を一所懸命生きたというだけのことだと思いますよ。だから終わりが来た時に「ハイ、さようなら」と言うだけの事です。私自身もそういう生き方しかできないと思います。

将来こういうことをしよう、この年になったらこういう事をしようという様な事は中々読み切れないことで、今日、今一所懸命やっているというだけのものだ、いつ終わるかよくわからんという、これが実情だと思います。

※私の独り言。
鎌倉時代の53才ってそんなに早死にではないと思います。西嶋先生は90才を過ぎてもお一人で暮らし仏教思想の普及に一所懸命取り組んでおられました。先生が「坐禅をすれば健康体になる」と言われる事は何も矛盾していないと思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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