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正法眼蔵 葛藤 13

趙州従諗禅師がたくさんの人々に説示した。

趙州従諗禅師言う:摩訶迦葉尊者は阿難尊者に法(宇宙秩序)を伝えられたけれども、達磨大師はいったい誰に法を伝えたか述べてみよ。僧が質問して言う:達磨大師の弟子である太祖慧可大師が達磨大師の髄を得たと伺っておりますが、どんなものでございましょか。趙州従諗禅師言う:太祖慧可大師を誹謗するような結果になってはならない。

※西嶋先生解説
この事はどういうことかといいますと、太祖慧可大師と達磨大師との間との法の伝承というものも言葉で説明できるようなものではないという事を言われておるわけであります。この葛藤の巻というのは、本来がクズの枝、フジの枝という事で、お互いに自分の力では立っていることが出来なくて、他の木に巻き付いて生きているという形の植物でありますが、そういうクズやフジの枝が絡み合っている状態を「葛藤」と言われておるわけであります。

普通に法を伝えるという場合には、何か非常にすっきりしたものであって、その秘伝なようなものが師匠から弟子に伝わるんだと、そういうふうな理解が一般であるわけであります。ただ道元禅師が直接体験された法というものの実体はそのようなスッキリ割り切れたものではない。言葉で説明できるようなものではない。複雑な絡み合った何かであって、それは言葉で説明できないものであると。そういうものが法として伝えられておるという事をこの「葛藤」の巻では繰り返し述べておられるわけであります。

したがって遠い昔に摩訶迦葉尊者から阿難佗尊者に法が伝えられたと言われておるけれども、それと同じようなことが達磨大師と太祖慧可大師との間であったかどうかという問題に関連して、達磨大師から太祖慧可大師に対して方が伝えられたという事は疑いもない所でありますが、それと同時に、その法の中身というものは決して一般の人々が第三者的に考えた割り切れた何かだというふうなものではない。したがってそういう言葉で説明できるような何かが達磨大師から太祖慧可大師に対して伝えられたと考えるならば、それは太祖慧可大師に対する誹謗につながる。

本文に戻ります。
さらに趙州従諗禅師言う:達磨大師が真実の外側にいる者は自分の皮を得たと表現する事が出来るし、自分の内深く入り込んだ者は自分の骨を得たと表現する事が出来ると言われた。ではその骨よりもさらに内側にいる者はいったい何を得たと言ったらよいのか述べてみよ。僧質問して言う:自分は太祖慧可大師が達磨大師から髄を得たと言われたと伺っております。太祖慧可大師の境地がそれに当たるのではないでしょうか。

趙州従諗禅師言う:皮、肉、骨、髄と言う頭の中で考えた区別ではなしに、その一番表面にあると考えられている皮がどういう実体のものかと言う事を承知する必要がある。自分が今いる現在の場所においては、達磨大師の一番中心にあったと考えられる髄でさえ必要ない境地にいる。僧質問して言う:それではその髄とはどういう意味でしょうか。趙州従諗禅師言う:その様な質問をするようでは、お前は皮でさえ手探りで見つけても得る事が出来ないであろう。



        ―西嶋先生にある人が質問した―    
   --つづき

釈尊の時代にも心を大切にするか物を大切にするかと言う思想的な分裂があって、釈尊はその問題について解決された。何によって解決されたかと言うと、人間の行いというものによってその問題を解決された。しかも、誰にでもやれる様な坐禅と言う修行法を通じてその問題を解決されようとしたわけです。

したがって釈尊の説かれた主張というのは、坐禅をしているとそのうちに思想的に発展していって本当のことがわかるようになると言う事を主張された訳では決してない。坐禅と言うインド古来から伝えられている修行法をやる事によって、人間というものは瞬間的に本来の状態に戻るんだ。人間の本来の状態を「仏」と言うふうに呼ぶわけであります。だから坐禅によって本来の状態に戻るという事は、仏の状態になると、こういう事であります。

それが物と心との分裂を救済する釈尊の教えとしてインドの社会において意味を持ち、その考え方が中国に伝わり、日本に伝わって来たと、これが仏教に関する実情であります。だから仏教と言う思想を理解するためには坐禅をやればすぐ仏になると言う思想をはずしては仏教思想そのものが理解できないと言う事情があるわけです。

だからその点では道元禅師が「只管打坐」と言われた事は、道元禅師の思想ではなしに、釈尊の教えそのものが「只管打坐」であったというふうに理解せざるを得ない。その事を基本的に考えていかないと、仏教というものは理解できないということがはっきりあると思います。
                   つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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