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正法眼蔵 葛藤 9

達磨大師と弟子の問答について道元禅師の注釈は続きます。

銘記せよ。中国で二番目の仏教教団の指導者となられた太祖慧可大師に言う場合にも、「お前は私の皮を得た」と表現すべきである。そして仮に「お前は私の皮を得た」と達磨大師から言われた場合でも、太祖慧可大師が正法眼蔵(釈尊の説かれた正しい眼目の所在)を達磨大師から伝承される事には変わりがなかったはずである。皮を得たと髄を得たとの間に優劣があったことによるのではない。

また道副や道育や総持と言う弟子に達磨大師が言う場合にも「お前は私の髄を得た」という事もでき、また「お前は私の皮を得た」と言われた人に対しても、法(釈尊の説かれた宇宙秩序)の伝授は行うべきである。達磨大師の体や心にあっては、皮も肉も骨も髄も共に達磨大師のものであって、髄は身近であり皮は疎遠であるという事はない。現に釈尊の教えを学ぶ上において眼力を具えた場合、「お前は私の皮を得た」という印可を受けるという事は、達磨大師ご自身を自分のものとした仏道修行であったという事が言える。

体全体が達磨大師の皮と同じ形で達磨大師の全てを引き継いだ祖師方もいれば、
体全体が達磨大師の肉と同じ形で達磨大師の全人格を引き継いだ祖師方もいれば、体全体が達磨大師の骨そのものであるという祖師方もいるし、体全体が達磨大師の髄そのものであると言う祖師方もおられる。体全体、心全体が達磨大師と同じという祖師方もいれば、体の全てが達磨大師と同じという祖師方もいるし、また心全てが達磨大師と同じという祖師方もいて、祖師方の全てが達磨大師と同じという祖師方もいれば、体中が全て自分自身を把握し、また自分以外の人々の人格をも全て把握したという状態における祖師方もおられるのである。



              ―西嶋先生の話―
    --つづき

ふだん我々は様々の緊張を経験する、あるいは時によっては興奮状態に陥るという日常生活を送っているわけですが、本来は非常に静かな状態にあるべきだ。 したって興奮状態や緊張状態になりがちな自分自身を安静な状態に戻すというのが坐禅の狙いという事になります。 このことを日常生活の問題と関連付けて考えてみますと、我々は毎日仕事をするとか勉強するとか、緊張状態を経験して日々生きているわけですから、その緊張の状態、興奮の状態を二十四時間のうち、一回や二回は普通の状態に戻さなければならない。

そのことをやらないで毎日のように緊張が続く、毎日のように興奮が続くという事になりますと、それを何とかほぐさなきゃならん。 ほぐすための一番簡単な方法は一杯飲むという事になるわけです。 ただ一杯飲むと今度はそのアルコ-ルが覚めた時にさらに緊張状態に陥る、あるいは興奮状態に陥りやすいという状態が生まれるわけです。ですから、アルコ-ルのご厄介にならないで、しかも静かな状態を得るために坐禅というものがあると考えて間違いないわけです。

我々は夜寝るときに普通は非常に興奮しているわけです。 頭がクルクルと回っていて、時には眠くなってくるという場合もありますけれども、興奮していて眼が冴えているという状態もあるわけです。 ただ時間が来たから無理に寝床に入ってみると、頭の方がクルクルと活躍していて、何時まで経っても寝付かれないという事はわりあい経験している人は多いわけです。 坐禅を寝る前にやりますと心が落ち着いてくる。

心が落ち着いてくるという事は、体が落ち着いてくることですが、睡眠の状態に近くなるわけです。 だからそこで寝床に入れば、睡眠に入ることが比較的容易に出来る。そういう手順を踏まないで、頭が冴えている時に寝床に入るとなかなか寝付かれないで、「自分は不眠症ではなかろうか」という心配が出てくるし、「一杯飲まなければ自分は寝れない」と思い込む場合もあるわけです。

そういう点では、人間が普通の静かな状態に戻るために坐禅があるという事が出来るわけであって、その点では脳波を調べることによって、坐禅の本質がどういうものかという事を検討していくことはわりあい貴重な研究だという事になるわけです。この本(平井富雄著・坐禅の科学)では、例えば鈴木大拙さんの説は、坐禅を理解する上に置いては大変誤解を起こしやすいという考え方を述べておられるわけでありまして、その点では、「この会」で私が述べております事が決して根拠のないことではないという事にもなるわけです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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