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正法眼蔵 葛藤 6

達磨大師と弟子の問答について道元禅師が注釈されます。

ここで我々が学ばなければならないことは、「お前は私の皮を得た、肉を得た、骨を得た、髄を得た」という達磨大師の言葉は、まさに達磨大師ご自身のお言葉である。これに対して四人の弟子たちにはそれぞれの体験したところがあり、またそれぞれに聞き知ったところがあったのである。

そしてその四人の弟子たちが聞いたところのもの、及び自分の体験で把握したところのものは、いずれも体や心と言う差別を超越したところの皮であり、肉であり、骨であり、髄である。また体や心と言う差別を脱却したところの皮であり、肉であり、骨であり、髄である。すなわち我々の頭の中だけで理解した単純な一つの捉え方で、達磨大師の境地を見たり聞いたりする事は出来ないのである。

頭の中で考えられた理解というものは、主観とか客観とか、遠くにあるものとか近くにあるものとか、そういう一切を包含して、それが現実のものとなった状態いは違うのである。つまり頭の中で考えられた内容は、この世の現実の一切を包み込んだものとは成り得ないのである。

達磨大師と四人の弟子達の問答を検討する場合に、釈尊以来の正しい伝承を受けていない人々が考えるには、四人の弟子たちはそれぞれの理解の仕方に釈尊の教えに近い理解の仕方もあれば、釈尊の教えから遠ざかった教えもあったところから、達磨大師が四人の弟子の見方に対して、ある場合には皮、ある場合には肉、ある場合には骨、ある場合には髄と言うふうに、弟子の捉え方の浅い深いによって区別して評価を与えたと考えている。

そして髄の方が皮、肉、骨よりも体の奥にあるから釈尊の教えに近いと考えて、太祖慧可大師の見方の方が他の弟子達より優れていたところから、達磨大師から「お前は私の髄を得たお」と言う印加を与えられたものだと考えている。しかしながらこの様な主張というものは、いまだかつて釈尊の教えを正しく学んだ事がなく、達磨大師から正しく伝えられた教えというものとは別のものになってしまっているのである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
私達は今現代的に考えますと、人間が葛藤しているから精神状態が不安定な状態になると思うわけですね。だから何とかしてその葛藤を無くすと言う事に私達は注目しているわけですけれども、仏教の究極の葛藤ならば、葛藤を葛藤のままに持っていくと言う、そこら辺が問題になってくるのかなあと言う感じもするわけです。

先生
葛藤そのものが現実だというふうな考え方、これも普通の常識からすると中々理解しにくい事ではあるんです。普通には葛藤が邪魔をしているんだから、その葛藤を切り捨てて取り除くとスッキリした世の中が生まれて来るんだと、こういう考え方なんですね。しかしここで道元禅師が説かれておるのは、我々が生きている世界そのものが葛藤だから、葛藤を葛藤としてありのままに認めれば一番安定した状態が生まれて来ると、こういう主張でもあるわけです。

だから常識的な仏教観、宗教観とはかなり考え方が違うわけですけど、ただ道元禅師が仏教と言うものを追究されて、究極にあるものは現実そのものを現実として認める事だと、こう言う主張をされているのだと理解できると思います。

そういう考え方は我々は普通はしにくいわけですけれども、ただ様々な理論的な問題ではどうにも解決がつかないと言う事で、坐禅と言う修行法に頼っていった場合には、理論的な問題が解決の手段ではなくて、ありのままの現実の中に浸っていると言うか、ありのままの現実を味わっていると言うか、自分自身をそのままそっと認めると言う事、したがって自分以外のものもそのままそっと認めると言う事、そういうところに仏道の真実があると、そう言う主張だと言えると思います。

だからその点では、そういう捉え方と言うのはかなり高度な、難しい理解の仕方だという事は言えると同時に、坐禅と言うものによってそういうものに到達すると言うのが仏道修行だと、そう見て差し支えないと思います。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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