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正法眼蔵 葛藤 5

第二十八代目の仏教教団の指導者である菩提達磨大師が弟子に向かって言われた。

達磨大師言う:自分の死ぬべき時がまさに近づいてきた。お前たちが仏道修行の結果どのような境地に達したか聞いておこう。道副言う:私の現在における見解は文字に執着する事もなく、文字を離れる事もなく釈尊が説かれた真実に則った活動を致しております。達磨大師言う:お前は私の皮を得た。

尼僧総持言う:私の現在における見解は阿難尊者が釈尊の手助けによって、阿閦仏の国土を眺める事が出来たけれども、その後は一度も阿閦仏国を眺める事がないのと似ています。達磨大師言う:お前は私の肉を得た。

道育言う:地・水・火・風と言うような物質的な要素というものは実際に実在するかどうかという事は必ずしも断定できない。色・受・想・行・識に代表される宇宙の一切も、実在するかどうかは必ずしも断定できない。自分の現在の心境は何らかの実在、何らかの教えを手に入れる必要もないほど今日の実情に満足しています。これが真実であると言う様な観念的な考え方はとうになくなってしまいました。達磨大師言う:お前は私の骨を得た。

慧可大師行う:達磨大師に対して三度礼拝をしてから、自分の定められた席に戻ってただ起立していた。達磨大師言う:お前は私の髄を得た。

それから慧可大師を達磨大師の後継者として、中国における第二番目の仏教教団の指導者と定め、宇宙秩序(釈尊の説かれた教え)とお袈裟を伝えられた。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅と他のいろんな坐禅以外の修行、作務と言いますか、一服もしないでぶっ通しで働くと言うか、そう言うかかわりあいで坐禅が唯一だと言う、そういうのは先生どういうところに根拠がありますか。

先生:
その点では、坐禅と日常生活との関係を考えて見ますと、そういう24時間ぜんぶ坐禅をやっているわけではない。そうすると坐禅をやっていない時間も大事だし、坐禅をやっていない時間も坐禅をやっている時と同じ様な状態を保つ必要があると、こういう事ははっきり言えます。だから道元禅師が顔の洗い方を重視するとか、あるいは作務を重視すると言う事があるわけです。

それと同時に今度は、顔の洗い方とか日常生活の行動の仕方で、坐禅抜きで仏道修行が出来るかと言うと、それは非常に難しい。と言うのは、基準なしに、何らかの心がけで一所懸命やると言う事では仏道修行はまず不可能と言ってもいいくらい達成が難しいんです。そこで釈尊以来、坐禅と言う修行法を基準にして、坐禅をやりながら日常生活を正していくと言う事が行われて今日に来ておるわけです。

だから坐禅だけで全て用が足りると言う事ではなしに、坐禅以外の時間も坐禅を基準にして生きなければならないと言う事が言えると同時に、坐禅を抜きにして他の作務なり日常生活のやり方だけで仏道修行が出来るかどうかと言うと、それは出来ないと、こう言うふうに見ざるを得ない、そういう関係だと思います。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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