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正法眼蔵 葛藤 4

自分(道元禅師)の師匠である天童如浄禅師が言われた:ひょうたんの蔓が、ひょうたんに巻きついている。

この様な教えというものは、古今における様々な地方を訪ねてみても、いまだかつて見たり聞いたりした例はなかったところである。自分の師匠である天童如浄禅師が初めてただ一人がこの様な教えを示された。

「ひょうたんの蔓が、ひょうたんに巻きついている」という表現というものは、釈尊の説かれた真実をしっかりと掴まれた方が釈尊の説かれた真実を掴まれた人格とはどういうものかという事を研究され、釈尊の教えをしっかりと掴まれた方を直接に自分の境地として体験された姿を示すものである。その状況と言うものは別の言葉で言うならば、以心伝心と言われるような実情である。

※西嶋先生解説
「以心伝心」というのは仏教関係でよく言われる言葉でありますが、人と人との間における体験を伝える場合に、言葉でわざわざ説明しなくても、お互いに同じ様な体験をしておると、その共通の体験と言うものが自然にAの人からBの人に伝わる、Bの人からCの人に伝わるというふうな実情を「以心伝心」というふうな言葉で表現するわけであります。


 
          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
私は自分が心理学をやり始めてから「葛藤」という言葉がやっとわかった。それをすでにあの当時使いきっていたと言う、道元禅師の素晴らしさと言うものに全く関心しました。

先生
はい。ですからそういう点では私も、「正法眼蔵」を読むたびに道元禅師と言う人はまさしく天才だったと思います。それと同時に釈尊と言う方が天才だったと思います。だから時代を超えた天才がおられて、そういう方々の努力によって仏道が今日まで伝えられたと言う事ははっきり言えると思います。

だから、釈尊から摩訶迦葉尊者に伝えられ、阿難陀尊者に伝えられたと言う事は、釈尊も天才であったけれども、摩訶迦葉尊者も天才であった。阿難陀尊者も天才であった。菩提達磨大師も天才であったし、太祖慧可大師も天才であったし、大鑑慧能禅師も天才であった、天童如浄禅師も天才であったし、道元禅師も天才であった。

仏道修行をしてはっきりと仏道を掴まれた方々によって、仏道というものが今日まで伝えられたと、こういう事ははっきり言わざるを得ないと思います。だから仏教はそういう時代を超える力のある思想であり、真実の教えだと言い得ると、こう言う事が言えると思います。
    
まあ今日は真実なんてものがあり得るかと非常に疑問を持たれている時代で、この部屋の中だから私が「真実がある」と言っても、、そう皆おかしいと思って笑わないけれども、この部屋から一歩外へ出て「世の中には真実があります」なんて言ったら、「あいつはすこし気違いだ」と言う事に必ずなる。新聞に「こういうおかしな事を言う人が東京の街の中にも生きていた」(笑)と言うふうに話題の種になるという事がはっきりあると思います。

ただ仏道というものを勉強してみますと、「なるほどこれが真実だ、どうしても疑いようがない」と言う事は、はっきりその内容としてあると思います。それだけに勉強する意味があろうと言う事になると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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