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正法眼蔵 菩提薩埵四摂法 13

「同事」について道元禅師の注釈は続きます。

古い昔の時代には人間の気持ちが素直であったから、国内において賞罰(誉めたり罰したりすること)がなかった。そういう時代における賞罰と現代における賞罰は同じではない。今日の社会は大変複雑になって賞罰の状態も複雑になっているけれども、人から誉められなくても一所懸命真実を求めて努力する人は有るはずである。この間の事情は愚かな人々の考えの及ぶところではない。

優れた国王は、物事の事情をはっきりと承知しているところから、どんな人に対しても理解が行き渡るから人を嫌わないのである。人間には何らかの国家に帰属したいとか優れた国王にめぐり会いたいと言う気持ちがあるけれども、人がいつでもどのような国王が優れているかという事が常にわかるというわけではないから、自分は優れた国王から嫌われていないと喜ぶばかりで、自分が優れた国王を嫌っていないと言う事態を認識することがない。

この様に考えてくると、優れた国王にも暗愚な人々にも同じ様に、同事(周囲に同調する)と言う基本的な原則があるのであるから、周囲に同調していこうとする努力は、菩提薩埵(行動を通して仏道修行をしていく人々)の行いであり願いである。「同事」という事に関連して以上で様々な難しい説き方をしたけれども、簡単に言うならば、ただ正に柔和なやさしい顔ですべてのものに立ち向かえという事である。

この四種類の人に接する場合の方法は、一つの方法がそれぞれ四つのやり方を具えているのであるから、四×四の十六で、十六種類の人々に対する接し方もあるであろう。

            「正法眼蔵菩提薩埵四摂法」
            1243年 旧暦5月5日
            宋国に行き釈尊の教えを伝えた僧侶道元がこの文章を記す。




          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
これは道元禅師が鎌倉時代に書かれたんでしょ。それなのに、今の社会生活にピッタシで、一つも違わなくて、人間というのは全く変わらない存在なのかしらと思って。

先生
そうですね。と言うのは、人間というものも時代をこえて変わらないものだし、人間がどう生きなきゃならないかと言う事も時代をこえて変わらないものがハッキリあると思います。で、仏道はそれを主張していると思います。ですから二千数百年前の釈尊の説かれた事と七、八百年前の鎌倉時代に説かれた事と現在我々がやらなければならない事とは一分一厘の違いもない。どの様な時代を通過しても、常にその時代に一分一厘の狂いもなしに適合する教えというものが仏教であるし、そういうものでなければ真実とは言えない。

だから仏教が真実であると言う事を主張するのは、どの時代においても、どの様な社会の中でも、一分一厘の違いもなく適用できる教えと言う事になると思います。ですから、この「四摂法」のような教え、布施・愛語・利行・同事と言うふうな教えは、これから何万年たっても、人間の社会がある限りどうしても守らなくてはならない教えだと、こう言う事が言えると思います。


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634: by 自遊自足 on 2018/09/26 at 05:12:50

時代が変わっても人間の行動って変わらないと言う事なんでしょうね。

635:Re: タイトルなし by 幽村芳春 on 2018/09/26 at 12:20:22

自遊自足さん、コメントありがとうございます。

この提薩埵四摂法を初めて読んだ時、道元禅師がここまで親切に自分たちに教えてくれるのかと感激し感謝しました。それからは提薩埵四摂法の教えで人との接し方も毎日の生活も楽になりました。これも毎日坐禅をしているからこそ素直にスーッと受け入れられたのではないかと思います。これからもコメントお待ちしています。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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