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正法眼蔵 菩提薩埵四摂法 10

「利行」について道元禅師の注釈は続きます。

昔の中国における話が伝えられている。周公という人が伯禽という子供が地方の長官として出発するに当たって、戒めの言葉として次の様な言葉を与えたとある。自分は入浴していても、来客があった場合にはすぐ入浴をやめて来客の話を聞いてやった。一回の入浴の間に三回も入浴を途中でやめて髪を束ねその人の話を聞いた。

また食事をしている間に三人の来客がある場合には、その度に食事をやめて口を洗いその来客の話を聞いた。この例えはただただ他人に利益を与えたいと言う気持ちからに他ならない。子供の伯禽が辺境の地に行けば、外国人との交際が主となるが他所の国の人々には何も教えてやる必要はないと言う心がけではなかったのである。憎らしいと思っている人に対しても利益を与えるし、自分の近しい人に対しても利益を与えるべきである。

その様な行いというものが、自分自身にも自分以外の人にも同じ様に利益を与えるのである。この様な気持ちがわかってくると、草に対しても、木に対してみ、風に対しても、水に対しても、自然に何らかの利益を与えたいといういき方が常に生まれて来て、それが後退したり変わったりしないという基本的な事情というものが現れて来て、それによってまさしく自分もそれ以外の人も利益を与えられるという結果になるのである。

各人がそれぞれ個人的な感情に支配されてこの人は助けたいとか、この人は助けたくないとか、この人は不幸になればいいとか、この人は幸福になってもらいたいとかと言う束縛された気持から抜け出すと言う事が大切である。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
実際に商売なんかしているとライバルなんていうのがありますね。 それで組んずほぐれつやっていると、しゃくにさってきたりなんかして、とても「利するべし」なんていう気にならない場合が日常生活ではございますね。 これはいけないなと思いますけど。

先生
その点では、敵に塩を送れと言うふうな教えではないんです。 ただそれと同時に「あそこはこう言う事がおかしい、あそこはこういう変な事を やっている」ってな事をよそへ行って吹聴すれば、その店の悪口を言っていると言う事が結局は自分の評判を下げることでしか結果してこない。 そうすると、憎たらしいと思ってもほっとけとふうな、こういうふうな主張ではある訳です。 憎たらしいと思ったから、何とかしてやっけてやろう、傷をつけてやろう、足を引っ張ろうと言う必要はないと、そういう意味でもある訳です。

質問
憎たらしいけど、何となく好きにならないといけないなんて言う気になる必要もない・・・。

先生
ええ、それもないわけです。

質問
ほっぽって坐禅をしていればいいわけですね。

先生
はい。 ですから仏教でよく言う「空」と言う思想はそういう態度です。 あんまりこだわらなくて、はたがどうやっててもそうカリカリしないと言う事になると思いますね。 そうすると無理に傷つける必要もないし、無理に塩を持っていってやる必要もないし、まあこっちはこっちという事で、自分のやるべき事をせっせとやると言う事になると思います。

ところが、あいつのやる事が悔しいとなると、自分の商売をよそへ置いて相手の悪口ばかり言って回っていると、自分の方の商売がうまく行かなくなっちゃうという恐れもある訳ですから、はたがどうあろうと自分は自分の商売を一所懸命やるんだと言う事にならざるを得ないと思います。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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