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正法眼蔵 菩提薩埵四摂法 1

「菩提薩埵四摂法」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。

この表題の意味ですが「菩提薩埵」というのは、サンスクリットの「ボディサットヴァ」と言う言葉の音をそのまま漢字に当てはめて出来た言葉であります。「ボディ」は真実「サットヴァ」は人と言う意味で、「ボディサットヴァ」というのは、真実を求める人と言う意味であります。

この「菩提薩埵」菩薩という仏教徒が他の種類の仏教徒、例えば声聞とか縁覚とかという仏教徒とどこが違うかといいますと、日常生活の行動を通じて仏道を求めていくという事が「菩提薩埵」、菩薩といわれる仏教徒の特徴というふうに考える事ができるわけであります。

「四摂法」というのは、やはりサンスクリットの「チヤトゥ=サングラハ=バストゥ」と言う言葉の漢訳であります。「チヤトゥ」は四つということであります。「サングラハ」というのは人間がお互いに接触するというふうな意味を持っています。ですから人と人とが接触することに関連しての「バストゥ」、つまり四つの道徳、やり方、そういうふうな意味が「四摂法」という言葉の意味であります。

今日「四摂法」という言葉を理解する場合に「摂」という字を整える、まとめると言うふうな意味から心を集中する、まとめるというふうな意味で「四摂法」というふうな意味で「四摂法」というふうな解釈をしておるのが一般でありますが、どうも原語の意味から考えていきますと、人と人とが、接触する場合の四つのやり方というのが「菩提薩埵四摂法」という言葉の意味であろうかと思うわけであります。

「菩提薩埵四摂法」というのは何を言うかというと、第一番目は布施である。布施というのは、人に物を惜しみなく与えるという意味であります。我々は人間として生きている場合に、人には何もやりたくない、ぜんぶ自分がとりたいと言う気持ちもある訳であります。またたまには人に物を少しあげたいという気持ちも時々出て来るわけであります。仏教の立場から言うならば、たまには人に物をあげたいと言う気持ちの方が人間としては幸福な状態だと、こういう主張があるわけであります。

ですから、出すのは舌を出すのも嫌だというふうに、自分のものが増える事だけを考えて生きていくよりも、あり余るものがあったならば少しは人にあげあようという気持ちの方が、本来の人間の生き方だというのが仏教の主張でありまして、そういう観点から布施というもの、人に物を与えるという事を仏教の徳目の一つにしておるわけであります。

第二番目は愛語。「愛語」というのはやさしい言葉という意味であります。優しい言葉と言うのは、人間と人間が付き合っていく場合に、言葉が優しいか、優しくないかと言う事で常に大きな違いが出て来るわけであります。その点では、人に出会った場合に、「おはようございます」という挨拶をするだけでも人間関係はよくなる。知り合い同志出会った場合に、挨拶をしないで横を向いてサッサと別れるのという形ですと、お互いにあまり落ち着いた気持ちにはなれない。だから逆にお互いに「おはようございます」という声を掛け合う事が人間の間柄を和やかにする。

第三番目は利行。利行というのは利益と言う事でありまして、人に利益を与える行い。第四番目は同事。同時というのは同じ事をやると言う事で、人と協調していく事。一番目の「布施」と三番目の「利行」との違いは、「布施」は物を与える事が中心ですが、「利行」は物ではなしに自分の行いを通して人の役に立つと言う事です。

四番目の「同事」というのは、他の人と同じ事をやると言う意味ですが、我々人間は人と人とが寄り集まって何らかの社会生活をやっていると言うのが普通の状態です。そういう社会生活の中での生き方として、自分は独立独歩だから常に人とは違う事をやると言う人もある訳です。

そういう生き方と、それからまあ特に支障がない限り他の人と同じ様に協調してやっていきましょう、と言う生き方もある訳です。仏教では、特に反対しなければならない事情がない限り、出来るだけ周囲の人と同じ事をやりなさい、と言う「同事」と言う教えがあります。この四つの教えは、人間同士が交際していく場合にかなり大切な教えだと言う事が言えようかと思います。それと同時に、我々の日常生活の中で非常に実際的な役に立つ教えだと言える訳です。

我々の周囲には沢山の教えがあって、倫理、道徳というものまで様々な角度から問題が説かれている訳ですが、およそ人と人との接触という問題に関連して言いますと、この「四摂法」ぐらい実際的で、しかも役に立つ教えと言うものは他に見当たらないと言う事が私の日常生活の経験から非常に強く感じられるわけです。

※私の独り言。
この「菩提薩埵四摂法」の巻は実際に役立つ教えが親切丁寧に説かれていて、読みやすく大好きな巻です。特に愛語廻天の力あり(優しい言葉には天地をひっくり返すだけの力がある)と言う言葉には感動しました。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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