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正法眼蔵 古仏心 7

雪峰義存禅師が言われた:趙州従諗禅師こそは、古仏(時間を超越したどの時代にも通用する真実を掴まれた人)である。

道元禅師が注釈されます。
銘記せよ。たとえ趙州従諗禅師が古仏であろうとも、もし雪峰義存禅師が古仏の力量を持っていなかったならば、趙州従諗禅師にお仕えするだけのやり方(礼儀作法)を自分で身につける事が難しかったであろう。したがって雪峰義存禅師もまた、古仏になるだけの力量があったから、趙州従諗禅師がいかに優れた方であるかと言う事についての理解が出来たのである。

いま現に雪峰義存禅師がやっておられる日常の行動と言うものは、趙州従諗禅師のような古仏のお陰によって可能となっているところであって、古仏に学ぶ場合には、師匠と弟子との問答の中でも、師匠の質問に対して常に言葉で説明し回答するとは限らない。返事をしないと言う形で仏道の真実を表現する場合もある。その点では雪峰義存禅師も仏道の真実を掴み、自分自身を自由自在に使いこなす事が出来る様になった一人前の人物であったと言える。

古仏におけるやり方や威風のある動作と言うものは、古仏でなければ真似する事が出来ないし、また古仏と全く同一の動作と言うものは古仏でなければ出来ないものである。したがって趙州従諗禅師がその最初においても、中頃においても、最終段階においても、常に素晴しい生涯を送られたと言う事を学んで、時間を超越した真実を得られた方々の生涯のあり方と言うものを勉強してみるべきである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
因果関係の事ですが「善い事をすれば幸せになれる、悪い事をすれば不幸になる」と言う事で、個人に返って来ると言う事ですね。身体障害者や精神障害者の人とか、自分が悪い事を別にしていなくてもそう言う状態に置かれたわけで、その辺の因果関係はどういうふうに考えればいいんですか。

先生
これは因果関係そのものです。ですから因果関係は善悪の問題だけでないんです。医学の問題も、心理学の問題も、科学の問題も、物理学の問題も全部含めて因果関係となるわけです。この世の中の様々な結果と言うものは原因のないものは一つもないと言う事です。世間では普通はそういうふうに考えない。

運が悪いと不幸な結果が出てくる、運がいいと不幸な結果が出てこないと、こう言う考え方をするわけですけれども、そういう考え方を仏教ではとらないんです。すべてが原因・結果の関係だと。だから今日の不幸な状態についても、何らかの具体的な原因があると考えなくてはならない。幸福が得たいと思ったならば、幸福が得られるような原因を積み上げなくてはならないこう言う考え方になるわけです。

質問
そうすると、どうしてその様な不公平と言うのが・・・。

先生
というよりは事実が現存するんです。だからその点では、たまたまそう大きな障害を持たない現在の自分がいると言う事だけであって、そのことについては非常にありがたいと思わなくてはならないけれども、その状態がいつまでも続くためには、それなりの注意が必要だと言う事になるわけです。いくら五体満足であっても交通事故を起こすならば、五体が満足でなくなる場合はいくらでもあり得るわけです。

そういう点では、この世の中の一切のものがそう言う因果関係によって拘束されていると言う事はかなり大切な事。だから交通規則を守る・守らないなんて事も非常に大事な事なんですよ。赤信号みんなで渡れば怖くない、と言う考え方もありますが、これは間違いです。規則と言うのは、守ると言うところに意味があるわけです。一杯飲んで車を運転しておれば、それなりの結果が待ち構えているんですよ。
                            つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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