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正法眼蔵 古仏心 5

自分(道元禅師)の師匠であった天童如浄禅師が言われた:自分は永遠の意味を持った真実を究められた宏智正覚禅師と直接お会いしている。この様なところから、天童如浄禅師の日常生活の中には、宏智正覚禅師そのものがおられたと言う事が想像できるし、また宏智正覚禅師の持っておられた境地の中には、天童如浄禅師そのものがすでに入り込んでおられたと言う事が言える。

圜悟克勤禅師が言われた:大鑑慧能禅師こそは時間を超越した真実の体得者である、ただただ頭を地につけて礼拝したい。この様な圜悟克勤禅師の言葉から、我々は次の事を承知しなければならない。釈尊から数えて33代目に当たる大鑑慧能禅師はまさしく時間を超越した真実の体得者であり、頭を地につけて礼拝すべき方である。

この言葉から推察できるところは、圜悟克勤禅師そのものが、時間を超越した真実の体得者として素晴しい姿や輝きを持っておられたところから、大鑑慧能禅師の素晴しさがわかり、大鑑慧能禅師と直接お会いする事が出来たのであるから、この様に頭を地につけて礼拝すると言う事が行われたのである。

この様なところから、大鑑慧能禅師が時間を超越した真実の体得者であったこと、徹頭徹尾正しい状態の方であったと言う事を素材として、時間を超越した真実を得た方々は、この様に自分自身を自由自在に統御する事の出来る人であったと言う事を知るべきである。

大鑑慧能禅師も仏道修行を一所懸命された結果、自分の意思に従って自由自在に行動できる方であった。圜悟克勤禅師も仏道修行の結果、自分自身を自由自在に引きずり回せる力量が具わっていた方であつたからこそ、この様な言葉が出て来たのである。この様に自分自身を自由自在に引きずり回せる人こそは、時間を超越した真実を把んだ人と言う事が出来る。



              ―西嶋先生の話―

具体的に仏教を勉強していく上において、日頃どんな事をやったらいいかと言う問題に触れて見たいと思います。仏教を勉強していく上においてはいろんな事がある。その一つとして三毒と言う事がある。三毒とは何かと言うと、貪(どん)・瞋(じん)・痴(ち)である。仏教では、この三つのものを避けなければならないと言う釈尊の教えが伝わっている。なぜ釈尊がこの三つの事を注意しろと言われたかと言うと、この三つはいずれも感情的になった状態、感情が高ぶった状態だからです。

貪(どん)というのは、むさぼる事、欲張る事です。普通、腹がすけば食事をする、眠くなれば寝る、この事は人間の営みとして大切な事です。ただ、こういう欲望にさらにアクセントが加わると感情が乱れる。だからここで言っている貪(どん)とは、過度の欲望の事です。欲望を満たすと言う事は決して悪い事ではない。ただ欲望が過度になって、その欲望に引きずり回されると言う事、これを避けなければならないと、これが釈尊の教えです。

瞋(じん)というのは、腹を立てる事、怒りと言う事です。これも人間がよく陥りがちな事です。街や駅で、たまたま喧嘩をしているような人を見かける。傍から見るとやや滑稽に見える。ご当人は、大真面目になって「お前が悪い」とお互いに言っているけれども、傍から見るとずいぶん無邪気だと感じる。当事者のご当人は「俺がこんなに正しい事を言っているのに、なぜ聞かないのだ」と大真面目になって怒っていると言うのも見かける。なぜその事がよくないかと言うと、感情に走っている、自分の気持ちのバランスが壊れていると言う事です。

坐禅によって得られるものは自律神経のバランス。バランスした状態で日常生活をやっていれば何の心配もない。ところがたまたまバランスを乱したところで一所懸命にやった事が決していい結果をもたらさない。そういう点では、腹を立てると言う事も避けなければならない。これが釈尊の教えです。こういう教えは日常生活で案外大事だ。我々は人間である以上、腹の立たない人はない。ただ腹が立った場合に「腹を立ててはいけない」と言う教えを頭に持っていると、自分の感情を抑える努力が行われる。

腹を立ててもいいんだと感じていれば、怒りほうだい怒って、つかみ合いの喧嘩をしたり、口喧嘩をしたりと言う事にならざるを得ないけれども、そう言う事をやるべきでないと言う教えが頭の中に入っていると、感情的に走って腹が立ちそうな時でも、それを抑えようとする努力が行われる。こういうものが積もり重なって、仏道修行というものが進んでいくと言う面があるわけです。
                              つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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