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正法眼蔵 空華 28

瑯椰慧覚禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。

銘記せよ。仏道においては十方仏(あらゆる方角におられる真実を得られた方々)と言う言葉があるけれども、その「十方仏」という言葉の通り、我々の住んでいる世界にはあらゆる方角に真実を得られた沢山の方々がおられるのである。しかしその真実を得られた方々というものは、本来、眼を通して見えるものであるという実情である。

あらゆる方角におられる真実を得られた沢山の方々がどの様な場所におられるかと言う事を考えてみると、我々の眼で見える範囲の中に真実を得られた沢山の人々はおられるのである。我々の眼に見えるという事でないならば、その様な場所は真実を得られた沢山の方々のおられるべき場所ではない。

眼の中に映った姿というものは、実在でないという事も言えないし実在だという事も言えない。そのような言葉による表現を乗り越えた現実そのものである。実在しないものだとか、実在するものだとかという論議が我々の目に映る様々の姿について行われているけれども、我々の眼に映る姿というものは、実在しないとか実在するとかという論議を乗り越えた真実そのものである。すなわち眼に見えた姿そのものがあらゆる方角におられる沢山の真実を得られた方々そのものである。

ところが意識を働かせて、これこそはあらゆる方角におられる真実を得られた方々だと思おうと考えるならば、それは眼に映っているものと別のものになってしまう。また我々の理性を働かせて眼に見えるものは単なる現象(姿)であって、実在するものではないと心の中で考えるならば、それらはあらゆる方角におられる真実を得られた方々と別のものになってしまう。心の働きいかんでは、眼に見えたものと真実とは別々のものになると言う事はあり得る。



              ―西嶋先生の話―

「道」とは一体何かと言う事を考えてみますと、一つの説き方としては、宇宙の原理原則に従う考え方という事が出来ると思います。ところが世間一般の考え方では、宇宙の原理原則と言う手ぬるいことを言っていたのではとても間に合わないと言う。我々は食事をしたり着物を着たり等しなければならない。

宇宙の原理原則は二の次であって、もっと目先の事を一所懸命にやらなければならないと言う考え方もあるわけです。ただ実際問題としてはたしてそうかと言う事を考えてみますと、目先の事だけ一所懸命にあくせくした生き方の結果がいいかどうかと言うと、どうも世間の実態から見ると、必ずしそうではないと言う面もあるわけです。

たとえば経済界の動きにしましても、景気の変動と言うものがある。景気の非常に良い時、景気が非常に悪い時と経済界にも波があるわけです。景気の良い時にやらなければならない事と、景気が悪い時にやらなければならない事とは別だと言う問題があります。だから景気の良い時だけのやり方を覚えていて、そのやり方で不景気の時にも対処しようとすると景気の良い時に上手くいっていた事が、不景気になるとみんな逆にまずくなっていくという恐れがあるわけです。

そうすると、目先、目先、当面間に合えばいいと言うやり方が、案外危険な考え方だと言う事もあろうかと思います。また規則に従う事、秩序に従う事も案外大事な事であります。人間が沢山寄り集まって生きていく上においては、正しい規則を作ると言う事、そしてその規則を守るということが案外大切な事であろうかと思います。

会社のやり方にしても、沢山の人が寄り集まって仕事をしていればどうしても混雑がおこる。だからその混雑が起きないように整理するのが、「長」と言う肩書きのついた人の一番主な仕事ではなかろうかと思います。そういう点では、簡単な規則を決めて守らせる。その規則が正しいものであるならば、職場の秩序に非常に役立つ。そういうきわめて原則的な問題があろうかと思うわけです。そういう規則の根本にあるものを釈尊が説かれたのです。そしてそれを我々に教えられたと言うのが、仏道の教えの意味ではなかろうかと感じるわけです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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