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正法眼蔵 空華 17

釈尊の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

まさに銘記せよ。「空」と言う言葉で「実在するかどうかわからない」と言う表現をとっているけれども、その「実在するかどうかわからない」と言う表現によって表わされているものは、目の前に見えている具体的な事物(一つの草)そのものだという事が言える。具体的に実在するかどうかわからない事物についても、必ずそれが現象として我々の眼に映じて来るのであり、また一切の事物が現象として我々の眼に映るのである。ちょうどそれは沢山の草木に沢山の花が咲くのと似ている。

この様な基本的な考え方を表現するために、釈尊は「我々の住んでいる世界は実在するかどうかはっきりわからないし、現象も存在するかどうか断定できない」と言われたのであるけれども、現に我々の前には様々な事物があり、様々な現象が眼に映ると言う事は紛れもない事実であって、たとえば桃の花が眼の前に咲いている、柳の葉が青々とした緑の色を付けているという事に他ならない。梅の花は昨日は咲いていなかったが今日は春の様子を示して花が咲いていると表現するのと少しも変わらない。

この様に我々の住んでいる世界が実在であるかどうかという事は必ずしも断定できないし、現象というものが本当にあるかどうかと言う事も断定できないけれども、時が来ればその時に応じて様々な現象が現れて来る。その様な現象が現れるくるという事は、その様な現象の現われる時間において現れて来るのであろうし、その事が現象が現に現れて来たと表現されるのであろう。このような現象が現れてくるまさにその瞬間というものは、決していい加減なものではない。



              ―西嶋先生の話―

仏教を勉強するのはどういう事かというと、この世の中には正しさがあるという事を勉強するとみても差し支えがないわけです。仏教では「法」を重要視いたしまして、「法を勉強する」といいますが、「法」とは別の言葉で言えば、「正しさ」と捉えても一向に差し支えないわけです。我々の勉強している「正法眼蔵」の「正法」という言葉もやはり「正しさ」という事で、この世の中には正しさがあるという事を感じとるという事が仏道修行だと、こういう事にもなろうかと思うわけです。

もっとも、この世の中の正しさというものにも種類がありまして、一つの基準として世間でよく考えがちなものは、人間の頭の中で正しいと考えたことが正しさだと、こういう捉え方があるわけです。ですからそういう基準からしますと、正しさというものが各人各様になってしまう。そうすると、「私はこれが正しいと思う」そうすると別の人は、「いや、それは間違いだ。俺の考え方が正しい」という事で、頭の中で考えられた正しさというものはかなり当てにならないもんだという事が言えるわけです。

だから各人は、「自分の考えていることは決して間違いがないんだ」という確信をそれぞれ持っておりますから、正しさという問題が非常に複雑になりがちだという問題があるわけです。それからもう一つの基準は力が正しさだ、力ずくで戦って勝った方が正しいんだ、という考え方もあるわけです。確かに世界の歴史を眺めていきますと、競争をして勝った方に正しさがあるという事は大局的には言えると思います。ただそれと同時に、普通の社会の中で常に正しいかというと、それは決してそうは言えない。

仏教ではどういう正しさを基準にするかといいますと、自分自身の足を組んで、手を組んで、背筋を伸ばして、その時に感じ取れるものがこの世の中の正しさだと、こういう考え方をするわけです。そういう正しさを基準にして個人生活を規律し、また社会生活を規律していくというのが釈尊の教えである仏道だと、そういう事が言えようかと思うわけです。ですから、我々が気が付かないうちに、社会のあちこちで少しずつ「正しさ」という基準をもう一度取り戻そうという考え方が生まれてきつつあるのではないかと、そういうふうに感ずるわけです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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