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正法眼蔵 空華 16

釈尊の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

我々のものの見方や人生のあり方というものは、生まれてくるとか消滅して行くという形で捉えられるものではなくて、現在の瞬間瞬間という現れ方しか存在しないのであるから、そのような状態であればこそ、瞬間に生まれては消え、生まれたは消えしていく実体というものがあり得るのである。

我々の人生のあり方も、この空間の中で生まれて、空間の中で消滅していくと言えるし、主観的な見方の中で様々な現象が現われ様々な現象が消えていくということも言える。我々の見る対象が現象の中で生まれ、現象の中で消えていくと言う事も言える。またそれ以外の時点や場所においても、同じ様に瞬間瞬間に生まれては消え、生まれては消えして行くのが我々の人生の実体である。

実在するかどうかわからない現象を勉強するに当たっては、非常に多くの種類があると学ぶべきである。
主観的な立場にとらわれた見方もあるし、明瞭な見方もあるし、真実を得られた方(仏)の見方もあるし、仏教会の先輩がとられた見方もある。真実を基準にした見方もあれば、盲の眼から見た見方もある。時間の中で問題を捉えるのであれば、三千年と言う長い期間を基準にした見方もあるし、八百年と言う様な中期的な期間を基準にした見方もあるし、百劫と言うほとんど無限に近い途轍もない長い時間を基準にしたものの見方もある。

これらの様々の見方があるけれども、これらの様々の見方によって見られるところのものは、空華(本当に実在するかどうかはっきりわからない現象)を見ているのである。その空華の中にもすでに様々な種類があるのであり、また現象についても非常に複雑な現れ方がある。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
人間の精神性の根本は一貫して変わらない人間性の中にあるけれども、そうすると教育とか文化の発展に伴って発展してきたものというのは、人間の心のアクセサリ-に過ぎないという・・・。

先生
いや、そんなことはない。少しずつよくなっているんですよ。人間の歴史を眺めてみますと、右に揺れたり左に揺れたり、実に無駄な道を歩いているようですけれども、少しずつ良くなっているという事は言えると思います。なぜそういう事が言えるかというと、二つの考え方が対立すると武力で戦争するんです。正しい方が勝ち残るんです。

これは非常に皮肉な見方というかドライな見方として、たいていの人は嫌がるかもしれませんけれども、世界の歴史は力で決まっている面があるんです。力で正しさを決めて人類が少しずつ今日に到達してきていると、こういう事を私は言わざるを言えないと思います。

こういう事を宗教に携わる者が言うと、「とんでもない暴論だ」という事で非常にお叱りを受けるとは思いますけれども、人類の歴史を眺めて見ますと、どうしても戦争は非常に大きな要因をなして、何が正しいかは武力で決まっていると、こういう問題がどうもあると思います。私はそういう見方で世界の歴史を眺め、また社会の情勢というものを見る傾向があるわけです。

その点では、ま、ちょっと表現が悪くなりますけれども、その他多勢がガヤガヤ騒いでも真実は真実でしかないという問題。そういう見方をしていきませんと人生は生きていてもつまらんのですよ。そういう見方が出来る様になったときに、自分が何のために何で生きておるかという事がわかるわけです。それが仏道修行だ。そういうねらい以外に仏道修行というものはないと、そういう事が言えると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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