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正法眼蔵 空華 9

同安常察禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

銘記せよ。釈尊の説かれた教えにおいては「空華」――空間において存在するところの、実際はあるかどうか断定することのできない現象についての論議があるけれども、仏教徒以外(外道)の人々は空華に関する理論を知らないのであるから、どうしてそのような理論を理解し了解する事があり得よう。

仏道を勉強され真実を得られた諸先輩は、この空華――実在するかどうかわからない現象としての花があることをしり、また地上に咲く花の存在も知っている。その点ではこの我々の住んでいる世界にうまれでるところのあらゆる現象というものが咲いたり散ったりするという理論を知っているし、空間に存在する様々の現象、地上に存在する様々の現象、世界に存在する様々の現象というものが、実は釈尊の教えを説いている経典そのものであるという事を知っている。

この様な捉え方というものが仏道を勉強する場合の原則である。釈尊の説かれた教えの一つの説明の仕方というものは、この我々が住んでいる世界に存在する現象というものが実在するかどうか断定はできないという捉え方にあるのであるから、真実を得られた諸先輩の教えというものも、空華――実存するかどうかは断定できない空間に存在する現象と同じようなものだという事ができる。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
坐禅をして仏道の修行をしておりますと、世の中に対して色んな事件に対して非常に消極的になってしまうと、今私はそう言う事をよく感じるんですがそれでいいわけですか。つまり私の話を聞きに来る人の旦那さんが急に亡くなったんです。その人は本妻ではないんですが、旦那さんとの間に有名大学を出た優秀な息子さんがいます。

いま本妻の子供とその認知された子供の分け前でもって喧嘩してるんですね。そしたらその人が私の所にやってきて「先生どうしたらいいんでしょか」って。私、これは深入りしちゃいけないなあって消極的なってしまうんですが、どんどん攻め込んで電話をかけてくるんです。それはやっぱり四段階で考えて対処すべきでしょうか。

先生
うん、そう。

質問
そうすると消極的になってしまう。

先生
だから消極的になるのもいいし積極的になるのもいいし、と言う事はあるんですけれども、原則的に言うとちょうど水の表面のようなものでね。水の表面はどんなにかき回しても、ちょっとかき回すのを止めると平らになっちゃうんですよ。ああいう状態が法の世界だと思います。

だからそういう点では、水の表面の様な形になれば一切の問題と言うのは一番いい回答が出て来るわけですよ。ところが水をかき回しながら「どうも落ち着かない、落ち着かない」と言う考え方なり生き方と言うのは割合多いんですよね。ほっとけば平らになっちやうんです。
  
質問
でも、遺産でもって今やっているんですから。

先生
だからそういう点では、くだされば頂きます、もらえなければ諦めますと言うのが本当ですよ。ところがね、私はそんなの欲しくないんだけれども、てな事を言っている人が案外訴訟なんかやったりするからね。人間と言うのは実に可笑しいんですよ、そういう点では、いや、僕は財産なんかどうでもいいです、てな事を言っている人がわりあい熱心に訴訟して来る。そういう点では、くださればいただく、いただけなければ諦めると言う生き方が一番いい 生き方だと思います。

と言うのは、財産と言うものはもらっても使いようですぐ使ってしまって何もなくなってしまって、なくなった事が悔しくておかしくなってしまうと言う場合だってあるわけだから。そうすると、財産がある事がいいのか悪いのかもハッキリわからんのでね。財産がないと一所懸命働かなくてはならないと思って働いているうちに、その仕事の方を覚えちゃってどんどん財産をつくっていくと言う場合だってあり得るしね。

だからそういう点では、世の中は実に色々ですよ。10年経てばずいぶん変わってます。20年、30年経てばずいぶん変わっていますよ。だから財産なんて言ったって、これをもらわなきゃ一生うだつが上がらないなんて事は絶対にないね。もらわなきゃもらわないでそれだけの対処をすれば、その人の人生と言うものは必ず開けて来るわけだから。

質問
ああ、そうですね。「それ弁護士でも頼んだらいいでしょう」って、私電話しちゃって悪い事しちゃった。

先生
そう言う事については、カリカリ焦るのはあんまり利口な生き方じゃないと思いますよ、私は正直言うとね。ここでもって頑張らなきゃ損みたいに考えてみんな一所懸命頑張って、仲のいいのも悪くなったりしているけれども、それほど頑張る価値があるのかどうかと言う事は言えると思います。

質問
ありがとうございました。

先生
人からもらうよりも、自分で働いた方がよっぱど財産が出来るんだと思います。もらう方に一所懸命になるよりは、自分で一所懸命働いた方が出来るという事はあると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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