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正法眼蔵 都機 14

釈尊の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

銘記せよ。釈尊が説かれた真実の教えにおいては、雲を何らかの原則にあてはめることをせず、月を何らかの原則にあてはめることもせず、船を何らかの原則にあてはめることもせず、岸を何らかの原則にあてはめる事もしないと言う、基本的理論を静かに考え勉強すべきである。

釈尊が説かれたところの完全な真実というものは、実は具体的な月が瞬間瞬間に動いていく実体そのものである。言葉による説明ではなく月そのものを捉えることが釈尊の説かれた教えである。したがって釈尊の説かれた完全な真実というものは、別に抽象的な理論があるわけではなくて、月が一歩一歩と瞬間瞬間に動いていく現実の状態というものを説いておられるのである。

しかもその月の動きというものが瞬間瞬間のものであるから、それが相対的に動いているとか止まっているとかという解釈をする立場とは違っているし、それが前に進んでいるとか後ろに後退しているとかというふうに解釈する立場ではない。その様に釈尊の教えにおける月の動きとは、別のものと相対的に並べて、動いているとか止まっているとかと言う様な譬え話の問題ではないのであるから、月が一つ大空に輝いている具体的な様子、その現実の月が持っている本質なり姿というものが、まさに月が動いているということ、月の運動というもの、月の実体というものそのものである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
私は「決めつけないと安心が出来ない」それが今までの勉強の仕方でした。仏教の考え方と言うのはそうじゃなくて、動いていると言う一つの現象を取り上げて、とにかく動いていると言う見方をすれば確かに両方が動いているではないかと言う、それがなんかわかって来たと言う感じがいたしました。

先生
そう。その点では理性的に考えて決め付ける事も大事なんです。理性的に考えて決め付けないと人類は月にいけないんですよ。だから人間が月に行けたのはなぜかと言えば、理論的に割り切って数学的に計算したから月に行けたと、こう言う事があるわけです。だから我々は西洋文明の恩恵を非常に受けている。その西洋文明の基礎というのは、理論的に考えて決めつけると言う事でもあるわけです。

ただそれと同時に、それだけが唯一の見方か、それだけが全ての見方かと言う事について、仏教はある程度の批判的な立場を持つわけです。頭の中で決めつける事も大事な要素であるけれども、それだけが人生ではない。我々の住んでいる世界の実体ではない。もっと総合的に全部をひっくるめて受け入れると言う捉え方もあると。そういう主張が「都機」の巻一番最後のところ、あるいはその前の段階で述べられていたところなんですよね。

だから仏教というのは理性的な考え方を単純に否定したと言う事ではなくて、そういう理性的な立場も必要だけれども、それ以上の立場がないと、喧嘩ばかりしてしまって落ち着いた世の中が生まれて来ないと、こういうことを主張おられるという事です。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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