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正法眼蔵 都機 13

釈尊の言葉について道元禅師の注釈は続きます。

しかしながら愚かな人々が考えるところは、雲が動くことによって実際には動いていない月が動くのだという見方を取り、船が進むことによって、実際には移動しない岸が移動するように見えるのだと理解している。もしも愚かな人々が主張するように考えるならば、それは釈尊が説かれた教えを基礎にした見方ではない。

釈尊が説かれた教えの基本的な考え方とは、人間界や天上界で通用するような狭い見方に留まるものではなく、それはたしかに考える事の対象となる事の出来ないものではあるけれども、まさにその場その場における実践そのものに他ならないのである。

※西嶋先生解説
人生問題を考える場合に、主観が大事か客観が大事かという形で、どちらかに重点をおいて問題を理解する考え方がわりあい多いわけであります。ですから一方の考え方によるならば、人間の人生は心がけ次第だ。自分で頑張れば常に何とかなるという考え方もあるわけであります。ところが別の考え方によると、人間というのは境遇が大事だ。いったん境遇のまずいところに置かれてしまったらどんなに頑張ってもだめだという説明をするわけであります。

ところが現実の生活というものは両方の事情がある。だからどっちだと言う様な捉え方で一方的に決めつけるのは間違いだ。そういう点では、どっちに重点を置いたら正しいかという問題ではなくて、自分自身も一所懸命やらなければならないし、環境もよくなければならないという両方の事情がある。それと同時に、環境が悪くても自分が一所懸命やっていれば環境がよくなる場合もあるし、自分自身が多少抜けた点があっても環境のお陰で「これはいかん」と思い直して一所懸命やるようになる場合もある。

本文に戻ります。
したがって、船と岸とを一まとめにして、その相互関係を捉えると言う事を何回でも検討すると言う事が本来の正しい態度であり、また雲と月とを一まとめにして両方の相互関係に直接眼を向けていくと言う事が、この問題を考えていく上における本当の正しい見方である。

※西嶋先生解説
仏教の立場というのは、問題を二つに分けて分析的に捉えるよりは、現実の事態を一まとめにして総合的判断をするという態度があるわけであります。普通AとBの人が争っている場合にも、よく「Aの方が正しい」とか「Bの方が正しい」とか、一方的に決め付ける考え方があるわけでありますが、AとBの人が争うについては、両方が駄目なところがあるという場合が多いわけであります。

ところがどっちが正しくてどっちが正しくないんだと言う決め付け方をする事が、割合人間は好きな訳であります。そう言う見方を頭に置きながら、主観と客観の相互関係として捉えるのが最も現実に即した捉え方だと、こう言う事を言っている訳であります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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