FC2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

正法眼蔵 都機 4

釈尊の言われた「仏ノ真法身ハ、猶虚空ノ若ク、物ニ応ジテ形ヲ現ズルコト水中ノ月ノ如シ」について注釈は続きます。

空間というものは仏の実体そのものであるから、我々が住んでいる大地も、世界全体も、宇宙全体も、この現実の世界のすべても、すべてが空間というものと同じだという事ができる。我々が現に見ているところの机、畳、柱などの個々の事物、その他様々のこの世の中の姿の生き生きとした状態というものは、すべてが仏の実体であり、同時に月が様々な水に映るような形で個々の事物として様々な姿を呈して現れているのである。

月が出ている時は常に夜だと言うわけにはいかない。夜は必ず暗いと言うわけにはいかない。人間社会では限定された狭い考え方で判断するという習慣があるけれども、その様な人間社会の狭い考え方だけで月を考えたり、夜というものを考えたりしてはならない。太陽があり月があれば必ず昼があり夜があると言う事ではなくて、太陽もない月もないと言う世界でも、昼があったり夜があったりという事はあり得るであろう。

太陽が出るとか月が出るとかという事が、昼をつくったり、夜をつくったりというだけの目的で動いているわけではない。太陽にしても月にしても、具体的に様々な営みをし様々な性質を持っている。太陽は太陽として、月は月としての具体的な働きをしているのであるから、今日の月とか、昨日と今夜の月と言うふうな具体的な1つの月、2つの月というふうなことだけではない。さらに数を増やして、千の夜に出た月、万の夜に出た月と言う様に捉える存在でもない。

月というものが主観的な立場で考えられた場合、月というものに心があって、月自身が今日の月とか昨日と今日の月とか、個々の月だけが自分の姿だと考えたとしても、それは月自身が勝手にそのような理解をしているだけであって、必ずしも釈尊の説かれた真実の主張ではない。

この様に仏道の立場から問題を考えてくると、昨日月があったとしても、今日の月は昨日の月と同じだというわけにはいかない。今日の月は今日の月だという形で徹頭頭尾考えていくべきである。月は月として現にいま出ているのであるから、時間的な前後で、昔の月と今の月とが同じだというふうな捉え方をするべきではない。

※西嶋先生解説。
この最初の一段の中でどういうことを述べておられるかというと、まず最初には、個々の具体的な月の現れ方だけが月の現れ方の全てではなくて、月としての共通の捉え方もある。しかしそういう立場からの捉え方だけではなしに、釈尊の持っておられた性質とまったく同じような宇宙の実態というものがこの世の中に様々の姿を現してくるのと同じように、逆に月という言葉による一般的な捉え方が、現実の具体的な場面に様々の姿を現してくると言う事実もある。

そして仏道の立場では、現在の瞬間というものを基準にして問題を考えるから、月が「月」という言葉を通して共通に捉えられるという面があると同時に、さらに現実的な場面では、今日の月があり、昨日の月があったというだけのことで、昨日の月と今日の月とを関連させて捉えるというやり方はしないと、こういうことを言っているわけであります。



           ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
先生が坐禅を四段階に考えるという事で、苦諦が非思量といわれましたね。非思量というと、よく人の本なんか読むと、弁証法的にすごい悟りみたいな境地で非思量なんて言うふうに使うのかなあなんて、そんな説明もございますね。

先生
ええ、それはありますけれども、その説明をしておられる方が現実にそういうものを具体的に実感しておられるかどうかね。これは非常に疑問だと思うんですよ。言葉の説明は成り立つけれども、じゃそれが何なんだという事になると、まあ私の実感としては、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして坐っていることだ。それが非思量だ。非思量とは考えることではないと、こういうことでしかないという理解の仕方なんです。ですから私の場合には、何でもかんでも具体的に自分で感じ取れるものでしか説明しないと、そういう事があるわけです。

質問
何か非思量っていうのはばかにありがたい様な、変な、こう難しく理解している様な・・・。

先生
ええ、そういう説明がありますけどね。ただ我々が仏教を考えていく場合には、現実に触ったというようなことがなければならんわけです。頭の中で想像できたという事だけでは仏道の勉強にならんわけで、ゲンコツでらゴツンと殴ってみたら確かに痛かったというふうなところへ行かないと、仏道というものは出てこないという事になると思います。

質問
ありがとうございました。


ご訪問ありがとうございます。よかったらクリックお願いします。


関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

最近の記事

リンク

最近のコメント

カテゴリ

フリーエリア

坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

FC2カウンタ-