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正法眼蔵 全機 5

「生きる」と言う事実を観察してみると、たとえば人が船に乗った時のようなものである。この船においては、自分自身が帆を使い、自分自身が舵を取り、自分自身が棹をさすのである。ところが逆に考えてみると、船が自分を乗せているのであって、自分自身が棹を使って一所懸命に舟を動かしているつもりでも、実は船に乗せられて船の行くままに動かされているという事情もある。さらに考えてみると、自分が船に乗っていると言う事が、船が船として存在するところの意味を生んでいるのであるという捉え方も出来る。

自分と船との関係で主観と客観との相互関係を考えて見る必要がある。船と自分とが一体になって一所懸命に日常生活を生きている事態と言うものを勉強してみる必要がある。この様に自分自身が一所懸命に日常生活をやっているまさにその瞬間においては、自分の心だとか自分の体だとかと言うけじめはなくなってしまって、ただ船がそこにあって動いていると言う形で我々の前に現れてくる。

そうすると今度は、船と言う自分自身に対して、その周囲にあるところの大空も、水の流れも、岸辺も、それらの我々を取り巻いている環境と言うものが、自分自身が現に人生を一所懸命に生きていると言う事の周囲の舞台装置として現れてくる。自分自身が船に乗って一所懸命に人生を生きている時点においては、そういう時点でない場合と事情は同じではない。

この様に考えてくると、人生を意味あらしめるものは我々自身である。そしてまた、この様な世界というものがあればこそ、自分自身が生きていけるという事実もあるのである。船に乗っている際には、つまり一所懸命に人生を生きている際には、我々の体も心も客観的な世界も主観も、いずれも人生と言うもの、船に乗って生きていくと言う事態における重大な要素である。

我々の住んでいる一切の大地も、一切の空間もすべて船、すなわち我々の人生の重大な要素である。この様に考えてくると、生きるという事が自分自身であるし、自分自身は何かと言うならば、生きていると言う自体以外にはない。



              ―西嶋先生の話―

仏教の基本的な考え方として苦諦・集諦・滅諦・道諦と言う四つの考え方があります。その苦諦・集諦・滅諦は比較的わかりやすい。なぜかと言うと、頭で考えて理解できる立場だからということがあるわけであります。つまり苦諦というのは我々が頭でものを考えた場合に出て来る立場、それから集諦はその裏返しで、我々が感覚的に外界の世界を受け入れる、つまり物質を基礎にした考え方という事になるわけであります。

滅諦は、我々が頭の中で考えた問題と感覚的に捉えた物質の世界とが交差する世界、ぶつかり合う世界,つまり人間が何をするかという行いの世界だと理解できる訳であります。ただ最後の道諦とは何かという事になると、これは大変わかりにくいわけであります。なぜわかりにくいかと言うと、一切を含んでいるからであります。

ですから道諦の中には、苦諦の立場も、集諦の立場も、滅諦の立場も含んでいると同時に、それだけではない、この世の全てを含めて道諦と言う捉え方をするわけであります。ですから、現実そのものとか、宇宙そのものとか、正しさそのものとかと言う内容を持っておりますから、言葉で説明する事が出来ない。だから頭で理解しようとしても中々理解できないと、こういう問題がある訳であります。

そこで道諦と言うものの我々の身近な実体が何かと考えていきますと、坐禅がまさしく道諦の立場そのものだという事が言える訳であります。坐禅をやっている時の境地を我々は言葉で説明する事が出来ない。したがって「正法眼蔵」ではよく「大にあらず、小にあらず、有にあらず、無にあらず」と言うふうな説明が出てくるわけであります。,この言葉を聞いて「ああ、わかった」と言う人は少ない。「一体何を言っているんだろう」という事になるわけであります。
                              つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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