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正法眼蔵 全機 3

我々が日常生活において一所懸命に生きていくという事が、この世の中が現実に存在するという事の最も大切な手がかりである。その様な形で我々の日常生活は行われているのであるけれども、そのような現実の日常生活の場合に、生きると言う事がすべての場面に姿を現しているという事でないというものは一つもない。それと同時に死ぬという事実が全ての面に現れていないという事は決してあり得ない。

この様な形で生き死にと言うものがあって、その生き死にが全ての現実そのものであるという考え方が基本になって、その様な重要な中心を基礎にして生きると言う事実があり、死ぬと言う事実があるのである。我々の生き死ににおける中心的な事実と言うものが具体的に現実のものとして現れるまさにその瞬間においては、その様な我々の生き死にの中における事実に関連して、それが大きいとか、それが小さいとかという決めつけはできない。

それが宇宙の一切を含んでいるというふうな抽象的な説明も出来ないし、そうかといって個人個人の極めて狭い考え方の中から生まれて来たものだという主観的な捉え方も出来ない。時間的に見るならば、永遠の世界の問題だと言う捉え方も出来ないし、非常に短い瞬間的な出来事だという捉え方も出来ない。この我々の住んでいる現実の世界と言うものは、言葉で説明のつかない、レッテルの張りようのない世界である。



              ―西嶋先生の話―
    --つづき

6・不説在家出家菩薩罪過戒
出家であれ在家であれ、菩薩と言うのは仏道修行をしている人と言う意味です。ですからたまたま釈尊の教えを信じて仏道修行をしている人が間違いを起こした場合に、はたの人が「けしからん」と言ってとやかく批判してはならないと言う戒律です。間違いを起こしたと言う事も、仏道修行の過程で生まれた誤りであります。だから「はたの人がそれを軽々しく批判してはいけない」と言う戒律です。
 
7不自賛毀他戒
自賛と言うのは自分の事をほめる、毀他と言うのは他人の事を非難する。とにかく人間と言うのは、自分の事は自慢する事が好きだし、人の事は悪口を言うのが好きと言うのが普通の状態です。なぜそういう事が生まれるかと言うと、自分の中に引け目があると自慢したくなる。

自分の内心に弱みがあると、それを隠すと言う意味で自慢したくなる。それからまた自分に弱みがあると、人の優れている事がどうも気に食わない、他人の悪口が言ってみたくなる。その点では自分自身がしっかりわかっていないと、自分の事を自慢したり、人の事を非難したりと言う事が生まれやすい。したって「自分の事を自慢するな、あるいは人の事の悪口を言うな」とこう言う戒律が生まれた訳です。
                                つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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