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正法眼蔵 画餅 6

香厳智閑禅師の言われた「画にかいた餅は飢えを充たさず」について道元禅師の注釈は続きます。

仮に仏教を勉強していながら、この香厳智閑禅師の「画にかいた餅は飢えを充たさず」と言う言葉の意味をしっかりと理解できない人は、仏教のすべてがわからない人と見ていいであろう。「画にかいた餅は飢えを充たさず」と言っている言葉の意味は、たとえて言うならば「諸悪莫作、衆善奉行」であり、「是什麼物カ恁麼来」であり、「吾常是於切」である。

※西嶋先生解説
「諸悪莫作、衆善奉行」道元禅師は悪い事をしてはいけない、善い事をしなさいと言う事を人間が頭で考えたり口先で言う事と、自分の体を使って実際にやる事は同じではない、天と地ほどの違いがあると言う主張をされていている。ですから、この「画にかいた餅は飢えを充たさず」という言葉も、「諸悪莫作、衆善奉行」という主張で言っておられるのと同じように、頭で考えた事と実施にやれるかやれないかという事は大変違うという事を言っておられるのである。

「是什麼物恁麼来」
什麼物(言葉では表現できない何か) 恁麼来(この様に現に到来している)我々の生きている世界を考えた場合に、学問の立場からは色々説明する訳であります。それでは具体的に我々が生きている現実生活を言葉で説明できるかと言うと、仏教ではそれは出来ないと主張します。我々は言葉では表現できない現実の世界に生きているのであって、強いてそれを言葉で説明しようとするならば「是什麼物恁麼来」なんだか言葉では言い表せないものが現にここに現れている。

「吾常於是切」
自分はいつもこの現実の世界において一所懸命に生きている以外に生きようがない。

本文に戻ります。

とりあえずこのように勉強してみる必要がある。ところがこの「画にかいた餅は飢えを充たさず」という言葉について、過去においてこれを徹見した人々は少なく、そしてその真実の意味を十分に理解し得た人は皆無と言っていいだろう。どうしてその様な事がわかるかと言うと、従来もこの言葉について論評した人が一人、二人といない訳ではないけれども、その様な人々の言っている事を検討してみたところ、言葉の意味について本当かどうか疑ってみる事をしていない。また本当に真剣にこの問題に取り組んで勉強している人がいない。そして隣人の言葉に耳を傾ける事をせず、全く無関心のように見受けられたからである。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

次から次へと変化していく瞬間瞬間に、我々の体、心が喜びに満たされていくと言うのが我々の実人生である。こう言う考え方を聞くと「いや我々の人生はそんな素晴しいものではない、悩みも多く面倒な事も多くて早く終わりにしたいと思う事ばかりだ」と言う実感も、もちろんあるかも知れないけれども、それと同時に坐禅の中身というものを考えてみると、足を組み手を組み背骨を伸ばしている時と言うのは、人生の悩みからとにかく離れる事が出来る。

だから仮に日曜日、どうも気分がスッキリしない面白くなくてしょうがないと言う場合に、だまされたと思って坐禅をちょっとやってみるといい。しばらく坐っていると、さっきあんなに悩んでいたのはどうしてあんなに悩んでいたのだろうと思って不思議になるくらいに気分が変わる。それがなぜかと言うと、体の状態が変わるから。我々の悩みと言うものも、筋肉の状態、背骨の状態、神経の状態がどうなっているかと言う事でしかない。

だからその形を治すと気持ちの方もスッキリすると言う、極めて単純な原理に貫かれていると言うのが、我々の体であり我々の人生である。しかしそんな単純な事でとても人生は説明出来ない、もっと複雑でどうにもならない様な悩みが沢山あるんだと皆さん考えておられるみたいだけれども、本当に辛いと思った時にヒョッと気分を変えて坐禅をするという事をやってみたら、おそらく私の言っている事が嘘ではないと言う事がわかってくるんじゃないかと、そういうふうに感じる訳であります。 


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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