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正法眼蔵 画餅 1

「画餅」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。

この画餅という言葉はどういう意味かと言いますと、画にかいた餅と言う意味であります。画にかいた餅と言うのがどういう事を意味するかというと、画に画いた餅は食べる事が出来ない。非常に胃の丈夫な人が仮に食べたとしても、それが栄養になるという事はないと言うのが画に描いた餅という事の本来の意味です。ですから仏教においては、この画にかいた餅と言うのは普通は言葉で表された教えという事で、言葉で表された教えと言うものは、本当の意味で我々の現実生活には役立たないという主張がある訳であります。

我々はふつう物事を考える場合には、言葉で説かれた教えが大切でそれが日常生活に役立つと信じている訳であります。ただ、仏教の立場というのは、言葉の説明も決して無意味ではないが、言葉の説明だけが絶対のものであると考えると、我々が現に住んでいる現実の世界の実態と言うものを見誤る恐れがあると主張する。

その点では言葉と言うものの持っている限界を理解した教えが仏教哲学だと、こういうふうに言う事が出来るわけであります。そういう点では、文字や言葉と言うものは何らかの限界を持っていて、我々の人生を説明するためには完全なものではないと言う主張がこの「画餅」と言う言葉の中に含まれている訳であります。

道元禅師もその「画餅」と言う言葉を使われてこの巻を説かれた訳でありますが、道元禅師はさらに一歩進めて、ふつう仏道では最終の絶対的な価値を持つというふうには考えていない言葉や文章というもの「画にかいた餅」と言う言葉に譬えられるところの抽象的な議論が、実は仏道における真実を述べる力も同時に持っていると、こういう事も主張されている訳であります。

道元禅師は、たとえば仏教においてよく言われる不立文字・教外別伝と言う思想に必ずしも賛成しておられない。不立文字・教外別伝と言うのはどういうことかと言いますと、文字によって仏道を説明する事はをやらない。それから文字や言葉によって言葉によって示された教えの他に、仏教においてはもっと大切な教えが別に伝えられていると、こういう主張が不立文字・教外別伝という言葉の意味であります。ところが道元禅師は、この不立文字・教外別伝と言う思想が本当の意味の仏教思想でないと言う主張をしておられる訳であります。

それでは道元禅師はどういう主張をされたかと言うと、確かに仏教と言う思想は実際に坐禅をして我々の生活を規制していくと言う修行の面、もっと具体的に言うならば坐禅という非常に大切なものがあるけれども、それと同時に事葉の説明も必要であり大切だと言う事を主張された訳であります。

ですから、不立文字・教外別伝と言うような事を述べて、すまして、理屈はどうでもいいんだ、文字はどうでもいいんだという主張に対して道元禅師は賛成しておられなかった。だから「画にかいた餅」と言う表現で、言葉を軽く見、文章の意味を余り重要視しない考え方に対する批判も、この「画餅」の巻の中には同時に入っている訳であります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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