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正法眼蔵 道得 12

雪峰義存禅師と庵の主人である僧侶との説話について道元禅師が注釈されます。

雪峰義存禅師と庵の主人である僧侶との説話は、まさに3000年に一度咲くと言われている優曇華の花が咲いたと同じ様な非常に珍しい優れた出来事である。この様な場面には中々出会う事が出来ないだけではなしに、単に話を聞くだけでも中々難しいところであろう。

それは七聖や十聖とかと言われるような修行段階の人々の境地と同じではなく、三賢とか七賢とかと言われる修行段階の人々がのぞき見さえできないところのものである。まして人々に経典や論議を中心にして教える師匠や、神秘的な能力によって不思議な事態を出現させると言う人々がどんなに努力しても想像できない様な境地である。釈尊の具体的な出現に出会うと言う事は、この様な説話を聞く機会に恵まれる事を言うのである。

ここで雪峰義存禅師がとりあえず「もし真実を述べたならば、お前の頭を剃らないでおこう」と言われたけれども、その真意とは一体どういう意味であろう。真実の言葉を述べた事のない人の場合、この言葉を聞いたならば、この言葉を理解するような力を持っている人は、この言葉を聞いて驚いたり疑ったりするであろう。この言葉を理解する力量のない人にとってはどう理解していいかわからず茫然としてしまうであろう。

雪峰義存禅師は庵の主人とのやり取りの中で、真実を得た人とは何かと言う質問をした訳ではない。釈尊の説かれた真実とは何かと言う質問した訳ではない。坐禅によって身心が調和した状態とは何かと質問した訳ではない。呪文とは何かと質問した訳でもない。雪峰義存禅師が言われた言葉は一見、質問の様に受け取られるけれども、実は雪峰義存禅師自身の主張が込められているという事を詳細に学んでみる必要がある。


       
          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
道元禅師は最初は在家でもそれなりに努力をすれば相当いけると、後半になると出家して専門的にやって厳しく戒律を守らなければ駄目だと。それは道元禅師の思想が変わられた訳ですか。

先生
そう。道元禅師の書かれたものでは、確かにそういう出家についての考え方の変化があるという事は事実です。ただ今日の問題として出家しなくても仏道がわかるかどうかと言う問題については、出家しなくても仏道がわかるという事、これはハッキリ言えると思う。出家しなくても仏道がわかるためには何が必要かと言うと、毎日坐禅をやるかやらないかだけですよ。出家する、出家しないと言う問題よりも、毎日坐禅がやれるか、やれないかだけで仏道がわかったか、わからんかが決まる訳です。
     
今日の様に経済生活が発達して来ると、人間が余暇を持つ事が出来る様になった訳ですよ。道元禅師の時代は生産性が低いから、よほど特別な人ではない限り寺院に入って坐禅を専門にやると言う事が出来なかった。今日は、生産力が発達してきたから、誰でも一日のうちのある程度の時間は余暇として、自分の好きな様に使える時代がやっと来たわけです。だからそう言う時代には、そう言う余暇を利用して坐禅をやれば、在家の人でも立派に仏道がわかるという事、これはハッキリ言えると思います。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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