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正法眼蔵 道得 10

雪峰義存禅師の教団に一人の僧がいて、雪峰山の近くに行って粗末な材料で庵をつくって住んでいた。出家後長年月を経たにもかかわらず、頭を剃って僧侶の形をとるという事をしなかった。庵での生活がどんなであったかは誰も知らなかったが、その日常生活は充実したものであったであろうし、また孤独な寂しいものでもあったであろう。

自分自身で一本の木の柄杓をつくり、谷川まで行って水を汲んで暮らしていた。その質素な生活というものは、まさに谷川の水を汲んで暮らす昔の仙人のような生活であったであろう。この様にたった一人で生活していたが、日が経ち、月が経過していくに従って、その僧侶の日常生活の生き方が非常に優れているという事がいつの間にか人に知られるようになってきた。

ある日一人の僧侶がやって来て庵の主人に質問した。達磨大師がはるばるとインドの国から仏道を中国にもたらされた真意というものは、一体どういうものでありましょうか。庵の主人言う。谷が深いので、長い柄の柄杓でないと水が汲めない。

※西嶋先生解説  
達磨大師がインドからはるばる中国に仏道を伝えられた真意は、自分が一人で山の中で質素な生活をしながら仏道修行をしている状態と少しも変わらない。そういう事を意味する趣旨で「谷が深いので、長い柄の柄杓でないと水が汲めない」と言う返事をした。

本文に戻ります。
この返事を聞いた僧侶は、庵の主人は人知れず山の中で一人で仏道修行をしているのに、仏道の理解があまりに進んでいるので驚いた。僧侶は取るものも取り合えず、礼拝をしたり説法もお願いする余裕もなしに、雪峰山に上がりこの事を雪峰義存禅師に報告した。そこで雪峰義存禅師はその話を聞いて言う。確かにその庵に住んでいる僧侶の言葉は立派である。しかしながらやはり拙僧が直接そこに行って、本当にその僧侶が優れているかどうか検討する必要がある。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
「叱られる事は、つまり守られる事だ」と、ある宗派のカレンダ-に書いてありましたが、いい言葉ですね。

先生
叱られた場合に、腹を立てないという事がどの程度実際にあるかどうか。その辺の実際の我々の日常生活におけるあり方と言うものがかなり問題になる訳です。叱られた場合に腹を立てないと言うこと自体の方が大事だね。叱られた場合に誰でもが「ああ、うれしい、うれしい」と思って喜べるかどうか、その辺に若干人間のあり方に関連しての問題はあると思う。だからその点では、単に教訓だけの問題ではなしに、実態がどうかと言う事を問題にするのが仏道だと、こう言う事が言えると思いますよ。

質問
よく女の方の言葉で「悔しい!」っていう事、これは男は滅多に言わんですな。ああいう事は仏道に反しているんじゃないか。それより相手がそういうことをしでかすのは気の毒だと思うのが先に立ちますね。 

先生
う-ん、それは人によっていろいろでね。昔、かなり優れた総理大臣と言われた○○○○さんね、あの人はいいものを見ると「悔しい!」という事をよく言ったらしいね。そういう負けず嫌いの魂が総理大臣まであの人を持って行ったという事でもあるらしい。だから総理大臣になること自体が偉いことかどうかは別として、やっぱり男にも悔しがる人がいるわけでね。で、悔しがるという事が社会的地位をどんどん引き上げていったというふうな例もあるから、中々一概に言えない問題があるかもしれない。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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