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正法眼蔵 夢中説夢 17

また我々の人生の中でやらなければならない事をやったという事は、所詮は夢を実際に実践していると言う理解の仕方が出来る。そこで消極的に行動する場合でも、積極的に行動する場合でも、常に均衡を保っている天秤の様な均衡感覚を勉強する必要がある。

そして、もしこの様な均衡感覚を身につけたならば、眼で一睨みすれば必ず重さがわかる様な力量が現われ、夢中説夢が生まれるのである。物の軽い重いと言う事を強いて問題にせず、天秤が平らになると言う状態を具体的に表す事が出来ないならば自分自身における均衡も現れて来ない。

※西嶋先生解説  
坐禅というのは何のためにやるかと言うと、自分の中にある二つの要素を均衡させるためにやるわけです。二つの要素が均衡してくると、いわゆるため直観力が優れて来る訳です。つまらんものに欲をかかないで「あ、これだな」と言う結論がすぐ出て来わけであります。

本文に戻ります。
その様な均衡の状態が得られると、均衡の状態とは何かと言う事がわかって来るのである。すでに均衡が得られた場合を考えてみるに、それは物質によって得られた訳ではない。頭の働きによる努力で得られた訳ではない。現在の瞬間において弾みで得られた訳ではない。確かに我々の住んでいるこの空間の中に存在するものではあるけれども、均衡の状態を得なければ均衡の状態はわからないと学ぶべきである。

※西嶋先生解説  
均衡の状態を得なければ均衡の状態はわからないという事は何を意味するかと言うと、坐禅をしなければ坐禅の境地はわからないという事です。坐禅の境地は理屈ではないから、本を読んだら大体見当がつくと言うものでは絶対にない。坐禅の境地を知ろうと思ったら、足を組み、手を組み、背骨を伸ばすしかない。足を組み、手を組み、背骨を伸ばした時の実感はどういうものかと言う事がすぐわかる。



              ―西嶋先生の話―
    --つづき

に二つ目の諺は「渡る世間に鬼はない」です。これは「人を見たら泥棒と思え」と言う諺とは全く反対の考え方でありますが、実情に合っている面がある訳です。人を信用して一緒にやっていくと仕事がうまくいく。そういう信頼関係がないと中々うまくいかない。自分が相手の人の事を思って動くと、相手の人も自分に対して親切にしてくれるというふうな人間の間柄と言うのは相互関係がありますから「渡る世間に鬼はない」と言う考え方もまさに正しい教えです。

しかし、そのどちらかの考え方だけを信奉して生きようとすると間違いを起こしやすいという事がある訳です。そういう例から見ても、我々はいろんな考え方を持っている訳ですが、その一つの考え方に固執してそれが絶対だと考えると、中々現実に合わないと言う問題がある訳です。

仏教の考え方は、いろんな間違った考え方をこれも正しくない、これも正しくないと一つ一つ減らしていって、一番最後に残ったどうしても疑う事の出来ない教えを、仏教として釈尊が残されたと、そういう見方が出来るわけです。なぜ現実が「ありのまま」に見えないかと言うと二つの理由がありました。一つには、我々の持っている考えに誤魔化されると言う事でした。

二つには、我々の持っている習慣に誤魔化されるという事があると思います。過去にやった事が現在にも残り、また未来にも繋がるわけです。その点では、我々は昔あった事はいつまで変わらずに続くと思う癖がある訳です。我々の人生、社会生活は、毎日変わっている訳ですが、そういう変化に対して「変わった」と言う認識を持たない。
                                 
                            つづく--


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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