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正法眼蔵 夢中説夢 6

夢の様な人生の中で夢を説いているという自覚で仏道を説く状態が真実を得られた方々の実態である。それでは真実を得られた方々は架空な、何が何だかわからないようなことを説かれるかというと、決してそうではない。風の事を話し、雨の事を話し、水の事を話し、火の事を話す。つまり我々を取り巻いている客観的世界がどうなっているかと言う事を説かれるのが真実を得られた方々の教えである。

その教えと言うものは、言葉を離れて架空に説かれるものではない。風や雨や水や火と言う様々な言葉を使って、それを材料にして真実を説いて行くのである。その様な真実を説く事を一つの立場から見るならば、夢の中で夢を説くとも言えるのである。したがって、夢の中で夢を説くという状態は、古今を超越した永遠の価値を持った真実を得られた方々についての事柄である。 

そのような非常に価値の高い乗り物に乗って直接に真実を究める場所に至り着くのである。直接真実を究める場所に到達するということは、非常に価値のある乗り物に乗っている最中のことを意味するのである。その事は具体的に言うならば、坐禅をしている状態そのものを言うのである。ある場合には夢が誤っており、ある場合には夢が正しい、消極的に慎重に行く場合もあれば、積極的に手放しで開放的に行く場合もあるという様々な変化の中で生きて行く人生が我々の人生である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
仏道の本筋を勉強していきますと、やっぱり一般社会にあんまり受け入れられない理解の仕方や行動を示すようなきらいがあるので、そういう事までよく自分で承知して行動しないと、うまく適用とか適合とかしなくなるきらいもあるんじゃないですか。

先生
いや、そういう事はないんですよ。というのはね、どんな人間社会でも宇宙の中の一部なんですよ。ですから宇宙の原則がわかっておると、どんな人間社会のどんなつまらない動きも全部読めるんですよ。仏道を勉強することの意味の一つはこれなんです。人間が我利我利の立場で金儲けに血道を上げていても、仏道が身についているとそれらの人々がどんな原則で動いているかが、見え見えに見えるんですよ。それが仏道の意味なんです。

だからそういう点では、仏道の立場を基準にして日常生活を生きていけば、自分の意思を主張しながら人とぶつからないという境地があるんです。これは非常に狭い幅の動きですけれども、そういう厳密な非常に狭い範囲の動きをするためにやるのが仏道修行なんです。自分の意思を通しておきながら、周囲と摩擦を起こさないというのが仏道ですよ。
それを狙わないと仏道修行の意味がないと、こういう事があると思います。


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623:悠々自適 by せっせせっせ on 2018/05/17 at 00:16:42

「自分の意思を通しておきながら、周囲と摩擦を起こさないというのが仏道」
そうですね。
自分自身を発現させながら、それが周囲に受け入れられる状態。
こんな時が一番幸せを感じます。
まさに悠々自適と言うのでしょうか。
これからも仏道修行を励みます。

624:Re: 悠々自適 by 幽村芳春 on 2018/05/17 at 15:50:08

せっせせっせさん、コメントありがとうございます。
毎日坐禅をしていると「自分の意思を主張しながら人とぶつからない境地がある」という事がよくわかりますよね。
だからくよくよ悩むこともなく、目の前にあるやらなければならない事がせっせせっせとできます。
先生がよく命=時間と言ってました。お互い時間を大切にこれからも坐禅に励みましょう。

プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
ご訪問ありがとうございます。
夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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