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正法眼蔵 身心学道 7

山を取り上げて見ても実に沢山の種類があり、さらに様々な場所に山があるであろう。古代インドにおいて世界の中心を成すと言われている須弥山にしても、大小の須弥山があり、それが横に連なっている山もあれば、それが非常に高い形で聳え立っている山もある。

そしてまた、我々の住んでいる世界も小さな世界が無数に重なり合って非常に大きな世界を形成していると言う考え方があるし、国の数にしても無数に存在する。その様な山、河、世界、国とかというものも、物質世界の中に存在する場合もあるし、物質世界以外の世界、つまり我々の頭の中で考えられた世界の中に存在する山や河や世界や国もある。

河を考えてみても同じ様に考える事が出来る。天に天の川があるし、地上にも当然河がある。河の中でも非常に大きな四つの河もあるし、須弥山の北側のクル州には熱さの苦しみから避けることのできる無熱池と呼ばれる池もある。須弥山の北側には北俱盧州という大陸があって、その北俱盧州には四つの阿耨達池があると言われている。

大地も必ずしも土から出来ているとは限らず、土で出来ているものがすべて大地とも限らない。同じ「地」と言う字を取り上げて見ても、土から成り立った土地もあるだろうし、心の境地と言う意味で心地というものもあるであろう。宝が存在する非常に貴重な境地と言う意味で宝地もあって非常に種類はたくさんあるけれども、地というもの、基礎というもの、物が置かれるという意味での地というものがないわけではない。。空を飛ぶ鳥を考えて見るならば、鳥にとってはこの地面が自分たちの住まいではなしに、むしろ空を飛んでいる時が自分たちの世界にいるという事も考えられる。



              ―西嶋先生の話―                            
    --つづき

釈尊は断見の考え方も、常見の考え方も誤りだという事を主張されたわけです。我々の人生は確かに断見が説くように瞬間的なものではあるけれども、その瞬間に正しいことを行うならば、我々の人生というものは永遠の価値を持ち得るという主張をされたわけです。ですから仏教思想は、断見の考え方と常見の考え方と両方を具えた考え方だという事が出来得るわけです。

仏教思想では常見の考え方、断見の考え方、そのどちらでもない考え方と言う三つの考え方が成り立つけれども、この三つの考え方はすべて理論だ、理屈だ、頭の中で考えたことであって、我々が生きている現実の世界ではないという事を主張されたわけです。この現実の世界を仏教では「法の世界」というわけです。我々は現実の世界、法の世界に生きているのだから、まず現実の世界、法の世界の実体を知らなければならない。

その現実の世界、法の世界を知るためには坐禅という修行法がある。だから我々が坐禅をやることによって何をやるかというならば、悟りを開くとかというつまらない目的でやるわけではない。我々がどんな世界に生きているかという事を体全体で実感すると言うのが坐禅のねらいという事になるわけです。そういう現実というものが、理屈ではなしに体全体、心全体でわかってくると、初めて仏教と、断見と、常見とこの三つの考え方がどういう関係にあるかという事がわかってくる。これが釈尊の説かれた主張です。

私が仏教を教えていただいた沢木老師も提唱の中では、必ずこの仏教思想が断見外道でも常見外道でもないという事を非常に強く主張されたわけです。仏教の基本的な思想とは我々が社会生活をしていく上においても、まず自分自身の体と心が正しくないと碌な事はないという事を言われた。なぜかと言いますと、心が正しくない、体が正しくないという事があるならば誤った判断しかできない。誤った判断しかできないという事は、我々の一生がどこに行ってしまうか見当もつかないという事になるわけです。

そういう風な問題から釈尊は我々にまず坐禅をして、心身を正しい状態に置くという事を勧められて、どれがいい、どれが悪いという事を論議するよりは、自分の体が正しい状態に置かれ、自分の心が正しい状態に置かれているときには、悪いことはできない状態にある、いいことをやらなければならんと思わなくても自然にいいことしかできない状態にあるのが人間の本来の姿である。したがって、いくらいいことをやりたいと思っても、自分の体の状態、心の状態が正しい状態でなければ決して出来るもんではない。また自分体の状態が正しい状態に置かれているならば、悪いことをしたいと思っても絶対にできない、やる気が起きないというのが実情だ。

そういう基本的な観点から、我々の人生をもう一度見直すという事をされたのが釈尊の教えであるし、また達磨大師の教えでもあるし、道元禅師が日本にもたらされた教えであると、こういう事が言えるわけです。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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