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正法眼蔵 光明 14

雲門文偃禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。

雲門文偃禅師が言われた「各人は誰でも光明(輝かしさ)を持っている」という言葉は、各人が仏道修行をしていれば、いづれ光明が現れてくると言われたわけではない。かつておまえにも光明が具わっていたと言っているわけでもない。本人とは別の人が眺めていて光明があるとかないとかと言ったわけではない。

各人は現に今この場所において光明を持っていると言われたことをはっきりと自分の耳で聞きそれを保持すべきである。つまり現に今ここにいる各人が光明を持っている、光明そのものとして生きていると言う事を言われた事に他ならない。すなわち雲門文偃禅師だけでなしに、雲門文偃禅師と同じ様な人格になった100人、1000人の人々を集めて来て、その100人1000人の人々がまったく雲門文偃禅師と同じ様に「各人は誰でも光明(輝かしさ)を持っている」と言わせた事に他ならない。

雲門文偃禅師の言葉は、自分の頭で考えてひねり出した言葉ではない。各人はそれぞれ自分自身の光明を持っているのであって、その光明が自分自身で光明を出してこの様な言葉を述べたのである。各人がそれぞれ光明を持っているという事は、どの人もすべて光明を持っていると言う事に他ならない。

仏道において光明とは何かと言うならば個々の人々を言うのである。光明を取り上げてそれが我々の環境をなし、また我々自身を形作っているのである。光明を取り上げて、それで因果関係の中における客観世界(環境)と主体(人々)とを作ったに過ぎないのである。逆に光明が個々の人々をその中に取り込んでいると言う事も言える。

その事は、個々の人々が現に一所懸命生きていると言う事でもある。光明も光明として輝いているに過ぎない。この世の中にあるあらゆる存在というものも、現にそれぞれが個々の存在として目の前にあるという事に他ならないし、一切の存在が現にこの世の中に厳然として存在するという事が光明と言われ、また別の言葉では「人人」と言われる言葉の意味である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

質問
ものの本には、八正道と言うのは順序がありますね。その順序を壊しちゃいけないんで、最初「正見」から始まって最後に「正定」によって完成すると言う説明しているものもありますね。その辺はどいうことでしょうね。

先生
いや、完成と言うような事を特に言う必要はなんでね。八正道全部が大切なんですよ。一番最後の所だけが大切と言うわけではない。

質問
順序を踏んでいかないといけないと言う事ですね。

先生
うん、それはもうやっぱり四諦の順序になっているわけですね。1・正見(正しいものの見方)2・正思惟(考える内容も正しくなければならない)3・正語(口で正しい言葉を述べなければならない)4・正業(体を正しい状態に置かなければならない)5・正命(具体的な生活の場面で正しい生活手段を持たなければならない)6・正精進(一所懸命に努力しなければならない)7・正念(坐禅における心理的側面)8・正定(坐禅における肉体的側面) 

1・2は苦諦頭の問題 3・4集諦正しさというものを人間の言葉や行いから捉えた 5・6滅諦具体的な生活の場面で正しい生活手段を持たなければならない、一所懸命努力しなければならない 7・8道諦坐禅をやる

質問
これは一つのセットになっているものであって、キリスト教で言う十戒とは違うんだと、こういう説明ですね。十戒ならどれ一つ取り上げても独立して、一つやれば一つだけでも価値があるわけでしょう。八正道というのは、順序を経て初めて完成すると言うような説明なんでありますか・・・。

先生
順序を経てと言うよりは、一つの状態を八つの側面から見たものだと見ていいと思います。だから状態は一つでしかない訳です。足を組み、手を組み、背骨を伸ばして坐っている状態ですよ。ただその時の状態を頭の状態で説明すれば、正しい立場で、正しい事を考えている、口の状態でいうならば間違った事を言ってはいない、体の状態でいうならば体が正しい状態に置かれている。

その事は生活の面からみても間違いや誤りをやっているわけではない。しかも一所懸命やっている。心の状態で言うならば正念であるし、体の状態で言うならば正定である。だから一つの状態を八つの側面から説明していると言う事が、八正道の中身だと見て間違いないと思います。

質問
ありがとうございました。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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