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正法眼蔵 光明 10

憲宗皇帝と家臣韓退之との問答について道元禅師の注釈は続きます。

仮に憲宗皇帝が釈尊の教えについて十分な理解をしすでに真実を得た人であるならば、釈尊の説かれた輝きとは一体どういうものかという質問があってもよかった。この様に憲宗皇帝と韓退之との光明に関する問答を見てくると、釈尊の説かれた明々白々とした輝きとは、我々の周囲にある個々の事物そのものの事である。

その様に我々の周囲に存在する様々な事物というものが、その根も茎も、枝も葉も、花も果実も、輝きも色も、一切がそれぞれ自分自身の本来の様子をしっかり持っていて、いまだかつてそれをはたから奪うとか与えるとかと言う事はできないということが、我々の生きている世界の実情であり、その様な世界の実情そのものが釈尊の説かれた光明だと言う事が言える。

この様に考えてくると、我々の人生というものをとってみても、五道(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)という我々が日常生活において常に経過しているところの五種類の人間の境地の中に釈尊の説かれた輝きというものがあり、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)という六種類の人間の境地の中にもやはり釈尊の説かれた輝きというものがあることに気がつく。

※西嶋先生解説 六道輪廻(六種類の人間の境地)
1・地獄思い通りにならないという事で苦しんでいる状態 2・餓鬼あれも欲しいこれが欲しいという事で、いつも欲望に悩まされて焦っている状態 3・畜生自分の欲しいものを何とかして得ようと人を傷つける事も自分を傷つける事も構わずに、とにかく欲望を達成しようと恥も外聞もなく欲しいものを得ようとする状態 4・阿修羅畜生の状態が高じて非常に気持ちが荒れて暴れまわる状態 5・人間暴れまわるとエネルギ-が発散されて、少しは人並みになってくる状態 6・天上人並みになると人間はすぐ自惚れて自分は神様だと思う。自惚れが原因でまた地獄に逆戻りするという、六つ境涯を日常生活の中で繰り返していく。

六道輪廻は、私たち普通の人間が、日常生活の中で次々に経ていく境涯を言い「坐禅は、何のためにするかと言うと、こういう六道輪廻から抜け出すためです。

本文に戻ります。
我々が現にいるこの場所は言葉では説明できない不可思議な場所ではあるけれども、その言葉では説明できない不可思議な場所そのものが、我々の生きている世界であり、我々の住んでいる宇宙であり、我々の日常生活であるという事に他ならないのであるから、釈尊の説かれた輝きというものを言葉でいかに説明をしてみようとしても無駄な事である。この我々の住んでいる世界は山や川や大地がありそのこと自体が輝かしい事態であり、釈尊の説かれた輝きそのものであるという事が言える。



          ―西嶋先生の話にある人が質問した―

    --つづき
先生
結局太陽の下で生きているんですよ。結局地球の上でグルグル廻りながら生きているんですよ、それ以外に我々の生きてる場所はない。そういう点では現実的に具体的に我々の人生を考えていくならば、娑婆の世界も娑婆の外の世界もないんです。ただ宇宙の中に生きているというのが事実であって、宇宙の原則とは何かという事を一所懸命に勉強して宇宙の原則に従って生きていけばそれがもうすべてです。

ところが人間はそういう生き方をすると損をしそうだと思うわけ。ほんとに損をするかどうかわからないんだけども、どうもそういう生き方では目先損をしてしまいそうだという事になると、目先損をさせられちゃたまらないから「まあ、仏道修行はやめておきましょう」となるわけだけれども、本当に目先損をするかどうかという事は実際にやってみなけりゃわからん。そこで仏道では「百尺竿頭進一歩」という。

百尺の竿の上に立って一歩でも踏み出せばどうなるかわからん、それでも踏み出さなければならないのが人生ですよ。どんな人にとっても、そういうきわどい現在の瞬間の上に置かれているわけだけれども、そういう人生をどう生きていくかという事に問題があるわけです。それは逃げようとしても逃げられない。逃げようとして逃げたつもりでいても、それは自分の本来を見失っているだけのことです。

自分をどう生かしていくかという様な立場で行動するならば、与えられた現在の瞬間で堂々と生きなけりゃならんわけです。そういう場面に我々は常に立たされているという事があると思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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