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正法眼蔵 光明 3

長沙景岑禅師の言われた言葉について道元禅師の注釈は続きます。

それより後の梁の武帝の普通年間になって、達磨大師がご自身でインドから南の海を経て広州に行かれた。この達磨大師こそ、正法眼蔵(釈尊の説かれた正しい教えの眼目)を正しく伝えたところの正統な後継者であり、釈尊から数えて28代目の継承者である。その達磨大師が嵩山の少室峰にある少林寺に滞在され、釈尊の教え(宇宙秩序)を太祖慧可大師に正しく伝えた。この事はまさに真実を得た方に具わる光明(明るさ・輝き)が、直接重なりあった事態である。

達磨大師が中国に来て釈尊の教えの中における光明と言うものを伝える以前には、釈尊の説かれた教えの中で光明と言うものがあるという事を見聞きした例は無かった。まして自分自身が輝かしさを持っていて、輝かしさの真っ只中で生きていると言う事を知っている者がどうしてあったであろう。

※西嶋先生解説   
なぜこういう事を言われたかというと、中国に坐禅をもたらされた最初の方が達磨大師だと言われているわけであります。坐禅をする事によって、自分自身が輝かしさの真っ只にいると言う事が具体的に体験できると言う問題があるわけであります。ですから、達磨大師以前に中国に沢山の仏教経典が入っていった訳でありますが、そう言う仏教経典を読んで、仏教とはどういう教えかと言う事を文字を通して頭を動かして勉強しているうちはさっぱり救いにならなかった。   

自分自身が輝かしさの真っ只にいるという事は解からなかった。ただ達磨大師が仏道修行の中心は坐禅であるという思想を持って中国に行かれて中国の人々に坐禅をする事を教えられて以降、初めて釈尊の教えの中に光明と言うものがあると言う事が知られる様になった。




              ―西嶋先生の話―

NHKテレビで「寒行」というドキュメンタリ-をやっておったわけであります。あるお寺の修行僧の冬の生活を生活ドキュメンタリーとして映しておったわけであります。それを見ておりまして、お寺の様子とか、冬景色とか、町の素朴な様子とか、非常に美しいという印象を受けたわけであります。ただそれと同時に、姿・形が非常に美しいという事と同時に、多少不安を感じたというふうなことがあったわけであります。

なぜ不安を感じたかというと、自分のこれまでの経過から仏道修行というものを考えて見ますと、仏道修行にはいろんな大切な問題があると思いますが、特に大切なものとして2つあるかと思います。1つは坐禅をやる事、それからもう1つは「正法眼蔵」を読むこと、この2つがそろっていると心配がないわけであります。ただこの2つのうちのどっちかが欠けていると、果たして目的地に着けるのかどうかという事について心配がないわけではない。

特に「正法眼蔵」を読まない形で仏道修行をしておりますと、仏道修行というものを旅行に譬えてみるならば、その途中では必ず道が右と左に分かれていて、どっちの道に行ったらいいかなあというふうに迷う場合がしばしばあるわけであります。その時に「正法眼蔵」という本を読んでいると、右の道を行ったらいいのか左の道を行ったらいいのかという事が理論的に分かるわけであります。
                          つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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