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正法眼蔵 拍樹子 18

趙州従諗禅師と僧侶の問答について道元禅師の注釈は続きます。

ここで趙州禅師が「空間が地面に落ちる時に柏樹子の木は仏になる」と言われているけれども、趙州禅師は決して起こりえない事を言っているわけではない。自分自身の状態が仏の状態になって、庭先の柏樹子の木が生き生きとした仏として見える様な時には、その度に我々の住んでいる空間そのものが様子を一変させているのである。その様な形で我々の住んでいる世界が一変するという際の響きと言うものは、非常に大きなものであって、100の雷、1000の雷が一時に鳴るのと同じ様な大きな音である。
 
※西嶋先生解説  
この事はどういうことかというと、我々の住んでいる周囲の様子が一変するという事は非常に顕著な事実であって、それを疑う訳にはいかない。我々がクヨクヨ、クヨクヨしているという気持ちを思い返して、足を組み、手を組み、背骨を伸ばすと、我々の心境そのものがクルッと変わる。それと同時に我々の住んでいる世界の様子が全く一変する。その変化というものを響きに譬えるならば、100の雷、1000の雷が一ぺんに鳴るのと同じ様な非常に大きな変化である。

本文に戻ります。
栢樹子の木が仏として見える時というものは、頭の中で考えた24時間というものの中で起こることであるけれども、それと同時に単に頭の中で考えた24時間の中ではなしに、現実の我々の日常生活の中における24時間のうちの出来事である。その場合、空間が地面に落ちる、我々の住んでいる世界が一変するという事情は、人間を凡人と聖者と二つの種類に分けて、偉くない人、偉い人という区別をした考え方で問題を見た場合の空間ではなしに、普通我々が見ている空間以外にまた別の空間というものが考えられる。



          ―西嶋先生にある人が質問した―
質問
先生は「現状ではやるだけのことをやっていくことだ」と言いますが、そうしますと中心軸が少し固定していないわけですが。「現状ではやるだけのことをやっていくことだ」という形ですと、現在の株の価格の上下だとか外国為替の値段というような理解ですね。先生は大蔵省ご出身ですから国家予算とかいろいろ大蔵省の仕事をやっていらしたわけですが、予算とか計画経済とか目標管理とかという事は、それはまた立場が違う見方ですか。それは仏道から言うとどういう・・・。

先生
これはね、宇宙というものは瞬間瞬間に動いているわけですよ。で、人間というものは動いていたんじゃ不自由だから固定しようという考え方が常にあるわけですよ。だから統制しよう管理しようという考え方もあって、ある程度そういう管理があり統制があると社会生活がやりいいという面もありますけれども、宇宙全体が動いているわけですから、固定して管理しようとする考え方は必ず破掟を起こすんです。

ですから社会の管理方法でも自由主義と社会主義という二つの対立する考え方があるけれども、社会主義の形で全部固定しようとすると国内不安というものが絶えずつきまとう。という事は宇宙全体が動いているわけです瞬間瞬間に動いているというのが本来の姿ですから、それを全部手放してほったらかしておけという事ではないわけですけれども、それと同時に一切を固定できるかというとそうはいかない、そういう事が現状だと思います。

だから為替の管理の問題なんかにしても、今日の様に市場が出来てその需給関係で価格が動くという方が管理運営の面ではむしろやりやすい、その方が無理が出なくていいという事があると思います。そのことは戦時中の価格統制の問題を考えてみればわかるわけです。政府で決めた価格で品物が手に入ったかというと、いっさい手に入らない。そうすると活字で何々はいくらとなっているけれども、その値段でものが買えたためしがない。

で、無理にその値段で買おうとすると、使い物にならない粗悪品しか出てこないと言う事でもあるわけです。だからそういう点では、むしろ宇宙全体が動いているんだ、諸行無常なんだという事がこの世の中の実際のあり方だとみていいと思います。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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