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正法眼蔵 栢樹子 13

次の問答に入る前に西嶋先生の解説が入ります。

この「正法眼蔵栢樹子」の巻は、趙州禅師に対してある僧侶が「如何なるか是れ祖師西来の意」つまり、達磨大師が西方インドからはるばると中国に仏道を伝えられた真意はどういうところにありますか、と言う質問をしたのに対して、趙州禅師が「庭前の栢樹子」つまり、目の前に生えている庭先の栢樹子の木と何ら変わるところのない淡々とした事実だ、と言われた。おそらくその二人が問答をしている部屋の前に庭があって、そこに栢樹子の木が沢山植わっていると思われる。その前にある栢樹子の木を指して、それと達磨大師の真意とは少しも変わらないと言う事を言われた。

その意味は、達磨大師と言えども一個の人間として一つの時代の中に生きて仏道修行をされた結果、自分が何をしなければならないかと言う事を自分の与えられた環境の中で感じられて、その時代の流れの中に自然に棹さしておられた結果が、中国に来られ仏道を伝えられたと言う事に他ならない。だから達磨大師と言えども、そういう個人の努力もあると同時に、その時の時代環境、あるいは仏道の置かれた状況と言うものが関係して達磨大師が中国に来られた。その事はちょうど庭先に自然に生き生きと生い茂っている栢樹子の木と本質的な事情は少しも変わらないと。こういう意味で庭先の栢樹子と言う答えを趙州禅師がされたものと言うふうに理解する事が出来る訳であります。

そういう問答からしますと、達磨大師の努力というものが単に栢樹子のような自然現象であって、それに人間的な努力という意味の価値がないように誤解される恐れもあるというところから、今日のところでは、そのような栢樹子の状態、あるいは達磨大師の努力というふうなものと仏性―仏としての性質―との関係がどうなっているかという事を取り上げておられるわけであります。

本文に入ります。
趙州従諗禅師に僧問う:柏樹子の木は、仏性(仏としての性質)を持っているのでしょうか、持っていないのでしょうか。超州禅師言う:仏性(仏としての性質)を持っている。僧問う:柏樹子の木はいつ仏となったのか、あるいはいつ仏となりますか。超州禅師言う:空間が地面に落ちる時に柏樹子の木は仏になる。僧問う:空間はいつ地面に落ちますか。超州禅師言う:柏樹子の木が仏になる時である。

※西嶋先生解説
見ている人と見られている栢樹子の木と、片一方が様子が変わった時に見られているものも必ず内容が変わって来る。そういう点では、見る人と見られるものとは同時に変わるという事。我々が仏になる、ならないという事も、周囲の世界が我々が仏になるという事と同時に変わるという事であります。

つまり、我々が坐禅を始めた時から自分の置かれている世界というものはまるきり変わって来る。それは普通の悩みだ、苦しみだというふうな形で悩んでいる世界とまったく別の世界、スッキルした仏の世界に瞬間的に入り込んでしまう。その点では主観と客観とがお互いに相互関係であって片っ方が優れた状態になればその相手方も優れた状態にてなるなる。我々自身がスッキリしてくれば住んでいる世界もスッキリしてくる。そういう相互関係を述べられているわけであります。


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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