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正法眼蔵 栢樹子 3

栢樹子の巻、本文に入ります。

趙州従諗禅師は、釈尊の後継者である摩訶迦葉尊者から数えて第37代目の指導者である。61歳の時に初めて仏道を勉強してみたいという気持ちになり、家庭を離れて仏道の勉強を始めた。

この時誓って言うには「仮に相手が100歳の年寄りであっても、自分よりも仏道の理解、仏道の修行において劣っているならば、自分はその100歳の人に教えてやろう。仮に相手が7歳の子供であっても、その7歳の子供が仏道の理解、仏道の修行において自分よりも優れているならば、自分はその7歳の子供に対して仏道を問おう」と。この様な誓いを立て、南方の国々を雲の流れる様にあちらこちらと仏道を求める旅をした。

趙州禅師は仏道を追い求めていく旅の途中で南泉山に到着し、方丈(住職の個人的な部屋)の中で横になっている南泉普願禅師にお目にかかり挨拶をした。すると横になったまま南泉禅師問う:お前さんはどっちの方から来た。趙州禅師言う:瑞像院。南泉禅師問う:その瑞像院と言う寺で、お前は非常に優れた仏像を見たか。趙州禅師言う:仏像はまだ見ておりません。ただ眼の前に寝ているお釈迦さんと同じ様な人を見ております。
 
その時、急に起き上がって南泉禅師は質問した:お前は修行僧のようだけれども、師匠はあるのか。趙州禅師言う:自分には師匠があります。南泉禅師問う:お前の師匠は誰か。趙州禅師言う:一月で気候もまだ寒くはございますが、お師匠様にはおかげんのよろしいようで、何よりでございます。

そこで即座に監督係の僧侶を呼んで南泉禅師言う:この修行僧は並大抵の人物ではないから特別の処遇をしてやれ。

この様な形で趙州従諗禅師は南泉普願禅師の寺に住むようになったけれども、その後よその寺に修行に行くという事をしなかった。そこで坐禅をして努力することが30年に及んだ。ほんの僅かな時間も無駄にしなかったし、仏道修行以外の余計な事はやらなかった。

そして南泉普願禅師のところで仏道の真実と言うものを伝えられ、また仏道修行がどういうものかと言う事を伝えられてから、趙州という土地の観音院と言う寺の住職となってさらに30年を過ごした。その30年の間、住職としての生活のやり方というものが、普通の色々な地方にいる住職と同じ様な平凡なものではなかった。


                
               ―西嶋先生の話―

今日は最初に無我とか忘我と言う言葉について話してみたいと思います。よく仏教の話を聞くと二言目には無我とか忘我と言う言葉が出て来る訳です。そういう話を聞いておりまして、私は本当に我と言うものがなくなるのかどうか、あるいは、我というものを忘れる事が出来るのかどうかと言う問題について、私は長いこと納得がいかなかった。坐禅をしている時の状態を見てみても、自分自身が坐っている事は間違いない。だから自分自身がどっかへいってしまったと言う様な事が一体どういう事を意味するのか、というふうに考えていた訳であります。

仏教を勉強する場合に一つ大切な事は、自分で実際に経験しない事は納得すべきでないと言う問題がある訳であります。単に仏教と言う教えが理屈だけのものであれば、頭の中で「わかった」と言う事で済むわけですが、仏教の教えと言うのは実践の教えであります。自分自身が実際に行動する事を基準とした教えでありますから、自分で経験してみて「なるほどそうだ」と思う以外は信じない方がいいと言う事情がある訳であります。

その点で無我とか忘我とかと言うものが私自身も中々わからなかった。確かに仏教の中に無我と言う考え方がある事はあるわけであります。たとえば仏教の思想を表わす特徴を法印と言うわけでありますが、法のしるし、法の姿と言う意味であります。その法の姿と言うものに、三法印とか四法印とかと言う言葉があるわけであります。

この三法印、四法印とかと言うのは、仏教にはこれこれの特徴的な考え方がある。だから仏教を勉強していく場合には、あるいは一つの教えが仏教であるかどうかを検討する場合には、この三種類の特徴、あるいは四種類の特徴があるかどうかを考えると言う事がこの法印と言う言葉の意味であります。
                                  
                              つづく--


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幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。68歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」戒名 幽村芳春。平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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