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正法眼蔵 阿羅漢 6

「自分たちは今まさに本当の意味での阿羅漢になりえた。釈尊の説かれた真実と言うものを言葉にして、それらの言葉をこの世の中の一切のものに聞かせよう」という言葉が「妙法蓮華経」の中に説かれている。

道元禅師が「妙法蓮華経」の中に説かれている言葉について注釈されます。
一切のものに釈尊の教えを聞かせようと言う言葉の趣旨は、この世の中に存在するすべてのものを釈尊の教えを説くところの声とすると言う事である。人が阿羅漢の境地に立った場合には、この世の一切のものが釈尊の教えを説いていると聞き取る事が出来る。

釈尊の教えが声になったものという事が説かれているけれども、単に釈尊が説法されて、それらを真実を得た方々や釈尊の弟子たちが聞いているという事だけを意味しているわけではない。すべてのものに聞かせると言われている事の意味は、意識あるもの、認識能力あるもの、皮あるもの、肉あるもの、骨あるもの、髄あるもの、これら一切のものすべてに対して聞かせることを、一切のものに聞かせると言っているのである。

意識あるもの、認識能力あるものというのは、単に人間とか動物とかというものだけを指している訳ではない。大地、草や木、垣根や壁、瓦や小石と言うあらゆる物というものも含めて言っているのである。また我々の日常生活、社会生活における調子が良かったり悪かったり、朝起きて顔を洗ってご飯を食べてと言う生活そのものも釈尊の教えを声として聞いているのである。

阿羅漢の境地の説明として、釈尊の説かれた教えが声になってその声を全て聞かせていると言う説明が行われているけれども、その意味は我々の住んでいる世界全体が全て耳になっているという事だけを言っている訳ではない。我々の住んでいる世界がそのままでありながら、常に真実を語っている、真実を説いていると言う意味である。人間が阿羅漢の境地に達したと言うことは、この世の一切の音が全て釈尊の教えを説いていると捉える事の出来る境地である。



          ―西嶋先生にある人が質問した―

    --つづき
先生
その点では、世界情勢というものはそんなにのんきなものではないんですよ。だから日本の社会に生きている人も一人一人が、どういう時代に生きているかという事をしっかりと見つめて、どういう生き方をしなければならないかという事は各人の問題でもあるわけですよ。ところが国民総生産「GDP」の1%だけの軍事費を負担するという事であれば、今日のところ日本ほど経済的に恵まれた国は世界中にはないと言って間違いないですよ。

ただそのままで大変結構という事でずっと過ごして行っていいのかという事は、やっぱり世界情勢がどうなっているかという事も考えあわせて各人が考えていくべき問題だと思います。そういう観点の考え方というのが割合少ない。だから貿易問題などにしても、アメリカから圧力をかけられた。それをいかにして誤魔化すかという事が日本の最善の政策だという考え方が国民の一部にあるとすれば、やっぱり真実を見るという点からすると欠けていますよ。

やっぱり我々は娑婆世界に生きているわけだから、娑婆世界がどうなっているかという真実を見極めて、それに沿って生きなきゃならんという義務があるわけです。だから我々がなぜ仏道を勉強しなければならないかと言うと、そういう真実を勉強するために仏道はあるんですよ。足を組み、手を組み、背筋を伸ばして坐っていることは現実と直面しているんですよ。一番現実と直面した姿が、足を組み、手を組み、背筋を伸ばして坐っている姿です。

だから悟った、悟らないというようなことは極めて小さな問題です。現実そのものに直面している、現実の中に生きているという事を嫌というほど感ずるというのが坐禅の修行です。そういう意味が仏道の究極にはあると思います。

※西嶋先生が1978年~1987年の講義の中で話されたことを紹介しています。したがって世界情勢も当時のものです。


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プロフィール

幽村芳春

Author:幽村芳春
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夫と二人暮らし。69歳。自営業。愚道和夫老師が講義された道元禅師著「正法眼蔵」をブログで毎日更新し自宅で朝晩毎日坐禅をしています。師事した愚道和夫老師より平成13年「授戒」幽村芳春 平成20年「嗣書」授かる。    

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坐禅をしているという事は、足を組み、手を組み、背骨を伸ばして釈尊と同じ格好をして釈尊と同じ心境になっているという事でしかない。坐禅を中心にして、釈尊の思想が時代が変わり場所が変わっても、その場所、その時代に適応するような形でずっと伝わってきている。

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